今回は平成の鹿島アントラーズ歴代最強のベストイレブン・フォーメーションを紹介していきます。
主要タイトル20冠、その他タイトルと合わせて合計29冠を獲得した平成の鹿島アントラーズはJリーグの常勝軍団として君臨しました。
リーグ戦の最終順位は最低の年でも11位となっていて抜群の安定感で上位に食い込んでいます。
そんな平成の鹿島アントラーズを引っ張った11人を紹介していきますので最後までご覧ください。
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【平成版】鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブン・GK
鹿島アントラーズの歴代最強GKはこの選手となりました。
曾ヶ端準
在籍期間1998年~現在
2002年Jリーグベストイレブン
1998年に鹿島アントラーズにトップチーム昇格の形で入団すると同期入団の小笠原満男選手、本山雅志選手、中田浩二選手らとともにチームを牽引していき正ゴールキーパーとして長く活躍しました。
J1通算500試合出場を2017年に果たして記録をさらに伸ばしています。
シュートやクロスへの反応が速く、キックやスローイングでカウンターの起点となります。
187㎝の長身を活かしてハイボール処理も得意ですね。
鹿島アントラーズのゴールキーパーのなかで出場記録がずば抜けているので、ゴールキーパーは文句なしでこの選手でしょう。
【平成版】鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブン・DF
それでは鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブンのディフェンダー編です。
内田篤人
在籍期間2006年から2010年、2018年~現在。
2008年、2009年Jリーグベストイレブン
高卒入団1年目からレギュラーを掴み、史上初のJリーグ3連覇を達成し、2年連続でJリーグベストイレブンに選出されました。
2010年ドイツブンデスリーガ・シャルケに移籍したあと2018年鹿島アントラーズに復帰しています。
ビルドアップ能力、カバーリング能力に優れ、頭脳とスピードでサイドの1対1の攻防を制する日本サッカー史上最高級のサイドバック。
秋田豊
在籍期間1993年~2003年
334試合20得点
1997年、1998年、2000年、2001年Jリーグベストイレブン
Jリーグ開幕時から鹿島アントラーズの守備の要として最終ラインで身体を張り続けたファイター系センターバック。
スピード、足下の技術に欠けますが、1対1の攻防で気合の入ったフィジカルコンタクトをみせて失点を許さないですね。
とくに空中戦の競り合いで強かったです。
鹿島アントラーズのセンターバックは1対1に強いという伝統を作った功労者といえるでしょう。
昌子源
在籍期間2011年-2018年
157試合8得点
2016年、2017年Jリーグベストイレブン
2011年米子北高校から加入した後、クラブワールドカップ準優勝に貢献して日本代表としてロシアワールドカップに出場を果たしています。
対人守備能力に秀でており、フランスリーグに移籍して以降も1対1で強さを見せています。
ゴール前でのシュートブロックや球際の攻防を制するセンターバック像は鹿島アントラーズ育ちならではで鹿島アントラーズの育てたセンターバックの最高傑作といえるでしょう。
フランスリーグでも評価を高めていますが、鹿島アントラーズから海外移籍した選手は帰ってくることが多いので、昌子源選手もいずれ復帰することになるかもしれません。
相馬直樹
在籍期間1994年-2003年
250試合10得点
1995年、1996年、1997年、1998年Jリーグベストイレブン
1988年フランスワールドカップに出場した頭脳派左サイドバック。
現役時代から戦術眼に優れたディフェンダーで、その能力を引退後は指導者として活かしています。
両足から繰り出されるセンタリングの精度が高くタイミングの良いオーバーラップで攻撃に厚みを加えます。
J2町田ゼルビアで指導者としても評価されているのでいずれ鹿島アントラーズで指揮を執るのではないでしょうか。
【平成版】鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブン・ボランチ
それでは鹿島アントラーズの歴代最強イレブン、ボランチを紹介していきます。
ジーコ
在籍期間1991年–1994年
45試合35得点(前身住友金属時代含む)
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1991年鹿島アントラーズの前身住友金属に入団してJリーグ加盟を成し遂げ、Jリーグ発足初年度1stステージ制覇に大きく貢献しました。
引退して以降もフロントに入りブラジル代表の中心選手だったコネクションを活かして外国人選手の獲得に大きな影響力を及ぼしています。
まさに鹿島アントラーズのレジェンド。
柴崎岳
2011-2016年
174試合17得点
2012年Jリーグベストヤングプレーヤー賞
2014年Jリーグベストイレブン
青森山田高校から入団するとすぐにボランチとしてレギュラーに定着。
2016年クラブワールドカップの決勝ではレアル・マドリードと対戦し、2得点を決めました。
パスセンス、攻撃参加に優れたボランチでロシアワールドカップでも日本代表として活躍しました。
【平成版】鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブン・MF,FW
鹿島アントラーズの歴代最強ベストイレブンミッドフィールダー、フォワード編です。
ビスマルク
1997年-2001年
183試合44得点
1997年 ベストイレブン
ヴェルディ川崎でJリーグ開幕当初大活躍していたビスマルク選手はゴール後に膝づいて眉間に手を当てて神に祈るポーズで有名になりました。
ジーコとジョルジーニョから誘われて鹿島アントラーズに加入したことは鹿島アントラーズの補強だけではなくライバルだったヴェルディの弱体化にもつながり2重の意味がありました。
鹿島アントラーズでも4年間大活躍しています。
優勝候補のチーム同士での移籍だったことから優勝請負人というキャッチフレーズがつきましたが1998年、2000年、2001年にJリーグ優勝に導きました。
小笠原満男
1998年-2018年
525試合69得点
2001年-2005年、2009年ベストイレブン
2009年JリーグMVP
東北が産んだ天才パサーは類まれなキック精度と攻撃センスを活かして高卒ルーキーイヤーから活躍。
直接フリーキックによるJリーグでの通算得点13点は歴代4位タイです。
ベテランになるにつれてゲームメイク力、ボール奪取力、戦術眼に磨きをかけていきポジションも攻撃的ミッドフィールダーからボランチへ移っていきました。
マルキーニョス
在籍期間2007年-2010年
119試合59得点
2008年Jリーグ得点王&MVP
ポストプレー、シュート精度に優れたフォワードで外国籍選手初のJ1リーグ戦300試合出場を達成したマルキーニョス選手はJクラブを7つ渡り歩きました。
最も活躍したのは鹿島アントラーズ時代です。
とくに2007年、2008年はJリーグ連覇に大きく貢献して印象的な活躍をしています。
両足でパワフルなシュートを打つことができるゴールゲッターですが、ドリブル突破やパスセンスにも優れます。
柳沢敦
在籍期間1996年-2005年、2006年-2007年
220試合80得点
1997年 Jリーグ新人王
1998年Jリーグベストイレブン
2001年Jリーグベストイレブン
オフザボールの動きに優れたフォワードで多くのワンタッチゴールを産み出しました。
2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップに出場した日本を代表するストライカーです。
「点を取るだけがFWではない」と語り物議を醸したこともありますが、この考え方が決定機逸の多さとオフザボールの動きの巧さに繋がっていたように思いますし、長所、短所をよく表した言葉ですね。
結局はどちらも大事という事ですね。
得点へのこだわりとそれ以外の貢献度を両立させるという部分で柳沢敦選手の育成経験が後に大迫勇也選手に活かされたのではないでしょうか。
【平成版】鹿島アントラーズの歴代最強フォーメーション
システムは鹿島アントラーズの伝統にすでになっている4-4-2。
ジーコの影響が強くブラジルで基本システムとしてよく用いられる4-4-2を一貫して使ってきた鹿島アントラーズはこのシステムを日本に根付かせて、日本サッカーに合うスタイルを作り出したと思います。
本家ブラジルより運動量が多く、サイドバックが攻撃参加してサイドで数的優位を作るのが特徴ですね。
そのしわ寄せとしてセンターバックの守備範囲が広くなるため対人守備能力が高いディフェンダーが鹿島アントラーズから輩出されるという好循環となっています。
今後は、鹿島アントラーズの4-4-2を世界水準に引き上げていくことが目標となるでしょう。
最後に
いかがでしたか?
今回は鹿島アントラーズの歴代ベストイレブンを選んでみました。
常勝軍団だけあって、有名な選手ばかりですね。
日本人選手はすべて高卒加入ですから、チームの経験値を若い世代に還元していくという作業が上手くいっている証拠で鹿島アントラーズの強さの秘訣なのかもしれません。
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