今回は国見高校サッカー部のOB特集!
黄色と青の縦縞のユニフォームに全員坊主姿が印象的な高校サッカー界の伝統高校はいったいどのような選手を輩出しているのでしょうか?
そんな国見高校サッカー部出身のJリーガー歴代の15選手をピックアップしてみました!
最後までご覧ください!
スポンサーリンク
永井篤志【1990-1992】
高校卒業後、福岡ブルックス(現アビスパ福岡)へ入団。
JFL新人王およびベストイレブンを獲得してJリーグ昇格に貢献しました。
その後、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形、ベガルタ仙台、FC琉球を渡り歩き2011年引退。
ミッドフィールダーではどこのポジションでもこなす万能型の選手でモンテディオ山形で最も活躍しました。
三浦淳宏【1990-1992】
高校卒業後、横浜フリューゲルス、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸に移籍。
日本における無回転フリーキックの第一人者でありキック能力が非常に高かったサイドバック・ボランチのユーティリティープレーヤー。
日本代表キャップ数は25。
船越優蔵【1993-1995】
U-17世界選手権で初のベスト8に入った中田英寿らU-17日本代表のエースストライカー。
193㎝の長身ストライカーでヘディングが武器。
高校卒業後はガンバ大阪、湘南ベルマーレ、大分トリニータ、アルビレックス新潟、東京ヴェルディ、S.C.相模原でプレーしました。
松橋章太【2000-2002】
高校時代は大久保嘉人選手とホットラインを形成。
高校卒業後は大分トリニータ、ヴィッセル神戸、ロアッソ熊本、V・ファーレン長崎を渡り歩きました。
俊足と豊富な運動量の持ち主で2007年 オシム監督にスピードが評価され日本代表に選出。
中学まで陸上も両立していて全日本中学選手権の200mで3位、国民体育大会の少年男子Bの100mで5位に輝きました。
大久保嘉人【2000-2002】
3年時、インターハイ、国体、選手権を優勝し、高校三冠を達成した際のエースストライカー。
セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、川崎フロンターレ、ジュビロ磐田で活躍して、史上初の3年連続Jリーグ得点王に輝きました。
南アフリカワールドカップ、ブラジルワールドカップに出場。
徳重健太【1999-2001】
3年時には主将として全日本ユースと高校選手権を制しています。
卒業後、浦和レッズ、セレッソ大阪 、ヴィッセル神戸、V・ファーレン長崎を渡り歩き、ヴィッセル神戸では守護神として活躍しました。
高校年代から世代別代表の常連でシュートストップ能力の高さが武器。
徳永悠平【1999-2001】
3年時に全日本ユースと高校選手権優勝。
卒業後は早稲田大学に進学後FC東京に入団してロンドンオリンピックにオーバーエイジとして選出されています。
ディフェンダーならどこでもできる守備のユーティリティプレイヤー。
故郷のVファーレン長崎が初のJ1昇格を果たしたタイミングで加入。
柴崎晃誠【2000-2002】
2年時第80回大会で大会得点王を記録し国士舘大学に進学。
スポンサーリンク
卒業後、東京ヴェルディ、川崎フロンターレ、徳島ヴォルティス、サンフレッチェ広島を渡り歩き、中盤ならどこでもこなせるインテリジェンスと技術を併せ持ちます。
キリンカップ2011日本代表に選出されました。
関憲太郎【2001-2003】
珍しい170㎝台の小柄なゴールキーパーですが機動力に優れます。
日本サッカー界最高クラスの高さを持つフォワードで同期の平山相太選手と練習を3年間ともにして空中戦の弱点を克服!
3年時にインターハイ、全国高校選手権優勝を経験しました。
ベガルタ仙台、横浜FCで活躍。
中村北斗【2001-2003】
すっぽんディフェンスが売りのサイドバック、ボランチです。
豊富な運動量、スピード、対人守備能力を併せ持ち国見高校黄金世代を牽引しました。
北京オリンピック日本代表候補メンバー。
アビスパ福岡、FC東京で活躍。
兵藤慎剛【2001-2003】
黄金世代の攻撃の中心で早稲田大学進学後、横浜マリノス、コンサドーレ札幌で活躍しました。
U-20日本代表として、2005ワールドユースに背番号10をつけて出場。
豊富な運動量とインテリジェンス、パスセンス、オフザボールの動きの質の高さを併せ持つ万能型ミッドフィールダーです。
北京オリンピック世代の日本代表の司令塔として本田圭佑選手、香川真司選手より期待されていましたが北京オリンピックメンバーから外れました。
平山相太【2001-2003】
日本サッカー界史上最高のフォワードと形容された190㎝のフォワード。
柔らかなボールタッチ、ボールキープ力、得点能力、ヘディングで高校サッカー選手権大会史上初となる2年連続得点王。
卒業後小峰総監督の勧めでプロではなく早稲田大学に進学するも休学してオランダリーグヘラクレスに入団して8得点。
FIFA選出の「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」受賞。
しかし、ホームシックで帰国後FC東京、ベガルタ仙台でプレーし2017年に現役引退。
代表はサッカー競技としては史上最年少の19歳2ヶ月でアテネオリンピックに飛び級で出場するも北京オリンピックは選外。
日本A代表キャップはわずか3試合に終わりました。
平山相太選手の伸び悩みは高校サッカーの指導や大学進学の是非を問うものとして多くの議論が噴出しました。
渡邉千真【2002-2004】
2003年度のインターハイで得点王。
3年時には高校サッカー選手権ベスト4進出を果たしたストライカー。
早稲田大学進学後、横浜マリノス、FC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪を渡り歩きパワーと動き出し、ポストプレーに優れたフォワードとして得点を量産しました。
日本代表キャップは1試合。
城後寿【2002-2004】
渡邉千真選手の相棒として高校サッカー選手権で活躍。
アビスパ福岡に入団すると得点能力の高さとここぞというところで得点を決める勝負強さを発揮してキングという愛称で親しまれ背番号も10を長年背負いました。
身体能力に優れ中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録出したこともありゴール前で体勢不十分な状態からアクロバティックなゴールを決める姿も印象的。
藤田優人【2002-2004】
黄金世代を支えた一人で3年時にベスト4を経験したディフェンダー。
両サイドバックをこなし対人守備能力の高さが自慢。
高校卒業後、明治大学に進学して東京ヴェルディへ移籍するものの財政難の影響で1年で退団して横浜Fマリノス、横浜FC、柏レイソル、サガン鳥栖を渡り歩きました。
最後に
いかがでしたか?
今回は国見高校のOB特集でした。
やはり大久保嘉人選手と平山相太選手が印象的ですね。
近年は全国高校サッカー選手権に出場することも減りましたが国見高校の伝統的な高校サッカーから日本サッカー界は学ぶことがあるでしょう。
スポンサーリンク
コメント