今回は東福岡高校サッカー部のOB特集!
九州の強豪として高校サッカー3冠を達成した名門校ですからJリーグファンには懐かしい名前も多いと思います。
そんな東福岡高校サッカー部出身のJリーガー歴代の15選手をピックアップしてみました!
最後までご覧ください!
スポンサーリンク
山下芳輝【1993-1995】
3年時に高校サッカー選手権ベスト4を達成。
小島宏美との2トップでセンターフォワードを務めました。
東福岡高校を経て地元のアビスパ福岡に入団すると開幕戦でいきなり先発に抜擢され福岡のエースストライカーとなります。
トルシエがシドニー五輪日本代表候補に選出、ジーコがコンフェデレーションズカップ日本代表に選出した実力者。
ベガルタ仙台に移籍後もフォワードとして活躍してJリーグ通算330試合67得点を記録。
小島宏美【1993-1995】
3年時に高校サッカー選手権ベスト4を達成。
山下 芳輝との2トップでセンターフォワードを務めました。
ガンバ大阪に入団するとイケメンとして人気を博し、スピードとテクニックを活かしてレギュラーポジションを掴みました。
トルシエから評価されて2000年韓国代表との親善試合で代表初招集初出場を果たしますが日本代表としてはこれが最後の試合となりました。
2004年にはヴィッセル神戸でボランチにコンバートされ活躍。
Jリーグ通算251試合:56得点。
古賀正紘【1994-1996】
古賀兄弟の兄。
卒業後は当時のJリーグ全クラブから誘いを受けると名古屋グランパスで活躍。
すぐにレギュラーポジションをつかみ185㎝の恵まれた体格と持ち前のリーダーシップでディフェンスラインを統率しました。
世代別代表の常連でしたがA代表に選出はされませんでした。
2014年地元アビスパ福岡に移籍すると2015年現役ラストイヤーでJ1昇格に貢献しました。
Jリーグ通算402試合:21得点
手島和希【1995-1997】
キャプテンとしてインターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権で優勝し、史上初の高校3冠を達成しました。
卒業後は横浜フリューゲルス、京都サンガで活躍。
1999年開催のワールドユースに出場、リベロとして活躍してチームの準優勝に貢献しました。
シドニー五輪日本代表候補、日本代表に選出された経験を持ちます。
Jリーグ通算242試合:5得点。
本山雅志【1995-1997】
高校3冠を成し遂げたチームの10番を背負いました。
卒業後は鹿島アントラーズに入団するとすぐにレギュラーポジションをつかみます。
1999年ワールドユースでは左サイドハーフとして活躍して切れ味抜群のドリブルで準優勝の立役者となり小野伸二、シャビとともに大会ベストイレブンに選出。
ドリブルもパスセンスも世界トップレベルの技術があり、サイドでもバイタルエリアでもその技術を見せる姿から天才と称されますが、腰痛、水腎症、靭帯損傷など怪我や病気との戦いが続き、才能に見合った活躍には程遠い現役生活を送ることになります。
日本代表として21試合出場にとどまり、ワールドユース以降は国際大会に出場することはありませんでした。
2005年にマンチェスターユナイテッドとの親善試合でスーパーゴール2得点を決め2-1の勝利に導いて、その才能がワールドクラスでも通用することを示しました。
Jリーグ通算406試合:38得点。
古賀誠史【1995-1997】
古賀兄弟の弟。
左利きで左サイドから高速クロスを蹴るプレースタイルで左足のキックに関してJリーグでもトップクラスの能力を持ちました。
高校3冠を成し遂げ横浜マリノスに入団。
AFCユース選手権1998の日本代表メンバーとして活躍しました。
Jリーグでは地元アビスパ福岡に移籍してから真価を発揮。
Jリーグ通算187試合:30得点。
スポンサーリンク
千代反田充【1996-1998】
2年時に高校サッカー史上初の3冠に貢献して卒業後は筑波大学を経てアビスパ福岡に入団。
セットプレーでの攻撃力が売りの攻撃的センターバックとして活躍。
アルビレックス新潟移籍後もディフェンスリーダーとして活躍しました。
Jリーグ291試合出場:20得点。
金古聖司【1996-1998】
2年時に高校サッカー史上初の3冠達成。
千代反田充とセンターバックのコンビを組み当時世代を代表するディフェンダーでしたが、アジアユースで左膝十字靭帯断裂及び、左膝半月板損傷の大怪我を負い復帰後も期待された活躍はできませんでした。
Jリーグで活躍できないまま東南アジアで7年間プレーして現役引退。
Jリーグ通算73試合出場:5得点。
池元友樹【2000-2002】
高校卒業後はアルゼンチンのCAリーベル・プレートに入団。
U-19日本代表にも選ばれ、帰国後ニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ北九州)に移籍。
点取り屋として活躍し地元出身選手としてギラヴァンツ北九州をJ2に押し上げた功労者。
Jリーグ通算336試合:102得点。
長友佑都【2002-2004】
高校時は無名の存在でしたが大学進学後オリンピック日本代表に選出されFC東京に入団。
イタリア・セリエAでチェゼーナ、インテルミラノで活躍して日本代表の中心選手となりました。
北京オリンピック、南アフリカワールドカップ、ブラジルワールドカップ、ロシアワールドカップ日本代表。
Jリーグ通算72試合出場:5得点(Jリーグ在籍時)
セリエA通算186試合出場:9得点(セリエA在籍時)
坂井達弥【2006-2008】
東福岡高校でキャプテンを務め、鹿屋体育大学に進学後サガン鳥栖に入団。
左利きで183㎝の長身のセンターバックという特徴を評価されアギーレ監督が日本代表に選出しキリンチャレンジカップ・ウルグアイ戦に先発出場し、日本代表初キャップを記録しました。
2018年までにJリーグ通算44試合出場 0得点。
松田天馬【2011-2013】
高校卒業後鹿屋体育大学に進学。
湘南ベルマーレに在学中に特別指定選手として登録され翌年に入団。
切れ味鋭いドリブルと瞬間的なスピード、運動量を武器にするアタッカー。
中島賢星【2012-2014】
運動量があり、身体能力に優れた中盤の馬力のあるプレーヤー。
高校を卒業して横浜F・マリノスに入団、Jリーグ・アンダー22選抜でJ3リーグにおいて活躍。
横浜マリノストップチームでは出場がないままFC岐阜に移籍。
FC岐阜でレギュラーとして活躍。
増山朝陽【2012-2014】
東福岡高等学校時代には強靭なフィジカルや爆発的な加速力を活かしたドリブルを得意とするプレースタイルから「ヒガシのクリロナ」という異名を持ちます。
ヴィッセル神戸に入団してアタッカーとして活躍するも膝の怪我が相次ぎました。
2018年7月28日、第18節の柏レイソル戦でJリーグ初得点を記録。
高江麗央【2015-2017】
2年生の時に、攻撃的ミッドフィールダーで全国高校サッカー選手権大会の優勝に貢献。
高校卒業後、ガンバ大阪に入団するとポジショニングセンスを買われボランチとして起用されて幅を広げています。
キック精度が高く直接フリーキックも蹴ることが多いです。
最後に
いかがでしたか?
今回は東福岡高校のOBについてまとめてみました。
高校時代無名だった長友佑都選手が一番プロで活躍したのは興味深いですね。
また東福岡高校として思い浮かべるのは本山雅志選手が多いと思います。
スポンサーリンク
コメント