Jリーグ歴代得点王!
ということで今回はJリーグの歴代得点王を年代別に振り返ってみます。
1993年に開幕戦したJリーグの得点王は、記録にも記憶にも残る選手ばかり。
当時のプレー映像やプレースタイルを検証しながら、歴代の点取り屋たちを紹介していきますので最後までご覧ください!
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- Jリーグ得点王1993(初代)・ディアス
- Jリーグ得点王1994・オッツェ
- Jリーグ得点王1995・福田正博
- Jリーグ得点王1996・三浦知良
- Jリーグ得点王1997・エムボマ
- Jリーグ得点王1998・中山雅史
- Jリーグ得点王1999・ファン・ソンホン
- Jリーグ得点王2000・中山雅史
- Jリーグ得点王2001・ウィル
- Jリーグ得点王2002・高原直泰
- Jリーグ得点王2003・ウェズレイ
- Jリーグ得点王2004・エメルソン
- Jリーグ得点王2005・アラウージョ
- Jリーグ得点王2006・ワシントン・マグノ・アウベス
- Jリーグ得点王2007・ジュニーニョ
- Jリーグ得点王2008・マルキーニョス
- Jリーグ得点王2009・前田遼一
- Jリーグ得点王2010・前田遼一・ケネディ
- Jリーグ得点王2011・ケネディ
- Jリーグ得点王2012・佐藤寿人
- Jリーグ得点王2013・大久保嘉人
- Jリーグ得点王2014・大久保嘉人
- Jリーグ得点王2015・大久保嘉人
- Jリーグ得点王2016・レアンドロ・ピーター・ウタカ
- Jリーグ得点王2017・小林悠
- 最後に
Jリーグ得点王1993(初代)・ディアス
28ゴール
32試合
記念すべきJリーグ初代得点王は、横浜マリノスのディアス選手!
アルゼンチン代表では活躍が出来ず(マラドーナ選手との確執が原因?)、Jリーグ開幕時に来日した外国人選手の中では、W杯で活躍したジーコ選手、リネカー選手などに比べ若干知名度が低かったディアス選手。
しかし過去にワールドユース得点王に輝き、クラブレベルではインテル、モナコなど欧州の強豪で活躍しているなど、上記の有名選手と遜色ない実力を持っていました。
迎えたJリーグ開幕戦、日本中の注目が集まる試合で決勝点となるゴールを挙げると、その後もリーグ初の2試合連続ハットトリックを達成するなどゴールを量産!
チームは年間4位と優勝を逃したものの、その得点力は日本のサッカーファンに大きなインパクトを与えました。
ディアス選手の特徴は「黄金の左」と称された左脚の圧倒的なな技術です。
プレーのほとんどを左脚のみで行い、正確なトラップから精度の高いシュートを繰り出しました。
またストライカーらしく、ゴール前でのポジショニング優れていて、日本のDF陣は悩まされたことでしょう。
ディアス選手は1995年前半までマリノスでプレーした後に現役を引退。その後は監督として古巣のリーベル・プレート(アルゼンチン)を南米クラブ王者に導くなど、指導者としても活躍しています。
Jリーグ得点王1994・オッツェ
30ゴール
40試合
1994年シーズンの得点王は、ジェフユナイテッド市原のオッツェ選手!
ドイツ代表経験もあるオッツェ選手は、リトバルスキー選手の紹介もあり、1993年2ndシーズンからジェフに加入。
翌1994年シーズンに入ると、リトバルスキー選手とのコンビでその実力を発揮。
開幕戦で2ゴールを挙げて波に乗ると、その後も2ndステージ開幕戦のガンバ大阪戦でハットトリックを達成するなどゴールを決め続けました!
オッツェ選手はレフティで、その左脚から放たれる強烈なミドルシュートや、リトバルスキー選手のパスを引き出すポジショニングを武器にゴールを量産。
オッツェ選手は1995年にジェフを退団してドイツに戻ったものの、翌1996年にはリトバルスキー監督の要請に応じてブランメル仙台に加入し、再来日しています。
Jリーグ得点王1995・福田正博
32ゴール
50試合
1995年シーズンの得点王は、浦和レッズの福田選手!
福田選手は前年の1994年、スポーツヘルニアの手術で長期離脱するなど苦しいシーズンを過ごしましたが、その鬱憤を晴らすかのように1995年シーズンはゴールを量産。
チームの司令塔である元ドイツ代表のバイン選手と抜群のコンビネーションを発揮し、バイン選手のスルーパスで相手の裏に抜け出すパターンで数々のゴールを決めましたね!
スピード溢れるプレーが福田選手の持ち味で、前述の裏への抜け出しや、高速ドリブルでの突破からシュートを放ちました。
福田選手はその後もレッズ一筋でプレーし、2002年に現役を引退。今でも「ミスターレッズ」としてサポーターに愛され続けています。
Jリーグ得点王1996・三浦知良
23ゴール
27試合
1996年シーズンの得点王は、ヴェルディ川崎のカズ選手!
カズ選手は1994-1995年シーズン、イタリアのジェノアにレンタル移籍し、日本人選手として初めてセリエAに挑戦しました。
セリエAでは開幕戦で鼻骨を折って離脱する不運もあり、21試合で1ゴールと結果を残すことができなかったものの、日本復帰後の1986年シーズン、Jリーグの舞台でセリエAの経験が無駄ではなかったことを証明しました。
チームは7位と低迷した中で、開幕5試合で4ゴールを挙げ、29節のジェフ市原戦でハットトリックを記録するなどゴールを決め続け、自身初の得点王と、1993年から4シーズン連続で15ゴール以上を達成。日本のエースとしての存在感を見せつけました!
カズ選手はセリエA挑戦前までは、ブラジルでウイングとして活躍していたように、得意のシザース(カズフェイント)を駆使したドリブルが最大の武器でしたが、セリエA挑戦後は、ゴール前でボールを受けて少ないタッチでシュートする、よりストライカーらしいプレースタイルに変貌しました。
ゴール前で身体を張るため、フィジカルを強化し始めたのもこの頃です。
プレースタイルの変更が成功したかに見えたカズ選手でしたが、1997年に入るとフィジカル強化の弊害かプレーからキレが失われてしまい、そこに怪我も重なり不調に陥ってしまいました。
Jリーグだけでなく代表戦でも精彩を欠くようになり、1998年のフランスW杯メンバー落選に繋がっていきます…。
Jリーグ得点王1997・エムボマ
25ゴール
28試合
1997年シーズンの得点王は、ガンバ大阪のエムボマ選手!
現役のカメルーン代表ストライカーとして注目されていたエムボマ選手は、開幕戦のプレーで日本のサッカーファンに大きな衝撃を与えました!
エムボマ選手のドリブルでボールが弾んだ後、リフティングからの反転でDFを交わすと、落ちてきたボールを得意の左脚でボレーシュート!ゴールネットに突き刺さりました!
リフティングから反転するダイナミックな動き、左脚から放たれた強烈なシュート、そして正確に枠を捉えた技術、全てがワールドクラス。
その後もエムボマ選手は驚異的なフィジカルを活かした突破やシュートでゴールを量産し、「浪速の黒豹」と称され大きなインパクトを残しました。
エムボマ選手は翌1998-1999年シーズンから欧州に渡り、イタリアやイングランドでプレー。
2003年から再び日本に戻り、東京ヴェルディやヴィッセル神戸でも活躍しました。
またエムボマ選手はカメルーン代表の中心選手として、シドニーオリンピックでの金メダル獲得に貢献しています。
Jリーグ得点王1998・中山雅史
36ゴール
27試合
1998年シーズンの得点王は、ジュビロ磐田の中山選手!
この年は日本ワールドカップ本大会に初出場した年であり、多くの選手が代表入りへとアピールしていましたが、その中で中山選手は記録的な大活躍を見せました。
当時のジュビロは黄金時代に突入したタイミングで、名波選手や藤田選手、ブラジル代表主将のドゥンガ選手など中盤に名選手が勢ぞろいでしたが、その中盤が生み出した数々のチャンスを中山選手がことごとくゴールに繋げました。
特に印象的な活躍を見せたのは1stステージ。第6節のセレッソ大阪戦で1試合5ゴールと大爆発すると、そこから第9節までなんと4試合連続でハットトリックを達成!
絶妙な動き出しで中盤からパスを引き出し、ゴールを量産しました。
その後もゴールを重ね、試合数を大きく上回るゴール数を記録。この年間36ゴールという数字は未だにJリーグ史上最多記録です!
ちなみに中山選手は上記の大活躍もあり、ワールドカップのメンバー入りを果たし、グループリーグ最終戦のジャマイカ戦で日本人初ゴールを記録しました!
Jリーグ得点王1999・ファン・ソンホン
24ゴール
25試合
1999年シーズンの得点王は、セレッソ大阪のファン・ソンホン選手!
韓国代表の不動のエースストライカーとして活躍してきたファン選手は、1998年シーズン途中からセレッソに加入しました。
2年目に入りJリーグのプレーに慣れた1999年シーズンは、持ち前の得点力を遺憾なく発揮し、チームのエースストライカーとしてゴールを量産!
韓国人選手として初めてJリーグ得点王に輝きました。
ファン選手は恵まれた体格を活かし、ゴール前で相手DFに競り勝ってヘディングシュートやワンタッチシュートを放ちました。
加えて足元のテクニックも備えており、自らシュートを撃つだけなく正確なポストプレーでチャンスを作り出すことも得意としていました。
ファン選手は翌シーズンにセレッソを退団しますが、チームに大きく貢献した外国人選手の一人として、サポーターに愛されています。
Jリーグ得点王2000・中山雅史
20ゴール
29試合
2000年シーズンの得点王はジュビロ磐田の中山選手!
1998年シーズンに続き、Jリーグで初めて2回目の得点王獲得。
2000年シーズンのジュビロは、中山選手が最初に得点王を獲得した1998年シーズンに比べてドゥンガ選手が退団したものの、奥選手や福西選手が成長したことで中盤の構成力は更に高まっていました。
その中盤が数多くの決定機を作り出し、最後にゴール前で中山選手が押し込む形でゴールを量産。
なお、中山選手はこのシーズンにJリーグでの通算100ゴールを達成することになります。
また、この2000年に中山選手は日本代表に選出され、アジアカップ予選のブルネイ代表戦で試合開始3:15でハットトリックを達成、「最速ハットトリック」としてギネスブックに掲載されています。
Jリーグ得点王2001・ウィル
24ゴール
26試合
2001年シーズンの得点王は、コンサドーレ札幌のウィル選手!
ウィル選手は1998年シーズンに来日して、当時J2の大分トリニータに加入するとエースとして活躍。
そして2001年シーズン、J1に初昇格したコンサドーレにレンタル移籍で加入しました。
コンサドーレで攻めの中心となったウィル選手は、その得点力をJ1の舞台でも存分に発揮してゴールを量産!
1stステージ開幕から5試合で4ゴールを決めてチームに勢いを与えると、2ndステージも最初の5試合で6ゴールを記録、7節のヴィッセル神戸戦ではハットトリックを達成するなど、シーズン通して得点源として活躍しました!
コンサドーレは堅守からのカウンターでウィル選手の得点力を最大限に活かす戦い方がハマり、同シーズンのJ1残留を果たしたのです。
ウィル選手の武器は、得意の左脚から放たれる剛柔併せ持つ多彩なシュート!
比較的自由に動いてボールを引き出し、自分へのマークが薄いとみるや積極的にシュートを放ち、ゴールを奪っていきました。
ウィル選手は得点王を獲得したパフォーマンスを評価され、翌シーズンには横浜F・マリノスに移籍しました。
しかし、マリノスではチームに順応できず、気性の荒さから同僚への暴力を振るってしまい、解雇されてしまうことに…。
Jリーグ得点王2002・高原直泰
26ゴール
27試合
2002年シーズンの得点王は、ジュビロ磐田の高原選手!
2002年といえば日韓ワールドカップが開催された年です。高原選手はエースストライカーとして期待されていましたが、大会直前にエコノミークラス症候群を発症し、無念の代表落選…。
ただ、その悔しさをバネにして、復帰後のJリーグで大爆発しました!
1stステージは14節のベガルタ仙台戦でハットトリックを飾るなど、9節から15節まで7試合連続ゴールを記録。2ndステージに入っても5節のFC東京戦で1試合4ゴールの大爆発を見せ、終盤のラスト5試合で6ゴールを決めるなど、勢いは全く衰えませんでした。
最終的に、チームはJリーグ史上初の両ステージ制覇を達成し、高原選手は当時最年少となる得点王とシーズンMVPを受賞しました。
当時の高原選手は、ジュビロの誇る豪華な中盤からパスを引き出すだけでなく、強引な突破からのシュートなど様々な形でゴールを奪っていて、JリーグのDF陣じゃ太刀打ちできない状況でしたね。
高原選手はこの大活躍を置き土産に、2003年からドイツのハンブルガーSVに移籍。ドイツの地でも日本人として初めて年間2桁ゴールを達成するなど、日本最高のストライカーとして結果を出しました。
CHECK高原直泰の現在と全盛期は?プレースタイルと嫁と子供もチェック!
Jリーグ得点王2003・ウェズレイ
22ゴール
27試合
2003年シーズンの得点王は、名古屋グランパスエイトのウェズレイ選手!
2000年シーズン途中からグランパスに加入したウェズレイ選手は、2001年シーズンから2年連続で年間20ゴール以上挙げてきました。
そして2003年シーズンも、同じブラジル人選手であるマルケス選手と抜群のコンビネーションを見せてゴールを量産。
開幕戦で1ゴールを挙げると、1stステージ10節から13節、2ndステージ6節から9節までそれぞれ4試合連続ゴールを挙げるなど着実に得点を重ね、1ndステージ14節の浦和レッズ戦ではハットトリックの固め撃ちで見事、得点王に輝きました!
ウェズレイ選手は「猛犬」と称され、強引なドリブル突破や強烈なミドルシュートで貪欲にゴールを狙う姿も印象的。
一方でブラジル人選手らしい足元の技術も合わせ持ち、時にはFKでゴールを奪うことも。
非常に総合力の高いストライカーでしたね。
その後、ウェズレイ選手は一度母国ブラジルのクラブに移籍するも、2006年シーズンにはサンフレッチェ広島に加入。2008年からは大分トリニータに所属するなどJリーグで活躍を続け、外国人選手ながらJリーグ通算100ゴール以上を達成しています。
Jリーグ得点王2004・エメルソン
27ゴール
26試合
2004年シーズンの得点王は、浦和レッズのエメルソン選手!
エメルソン選手は2000年にコンサドーレ札幌へ加入すると、J2ながら34試合で31ゴールと圧倒的な成績を残し、日本のサッカーファンを驚かせました。
その後、川崎フロンターレへの移籍を経て2002年途中からレッズに加入。
当初は若さから短気や独り善がりなプレーを見せてしまうこともありましたが、2004年シーズンからブッフバルト監督が就任すると、そのような悪癖が減り、シーズン通して活躍を見せました。
1stステージでは6節の大分トリニータ戦と9節のアルビレックス新潟戦でのハットトリックを含む13ゴール。
2ndステージは開幕から5戦連続ゴールを挙げ、14節の柏レイソル戦でハットトリックを達成するなど、14ゴールを挙げ、チームを初のステージ優勝に導きました。
エメルソン選手の持ち味は、爆発的なスピードを活かした高速ドリブルや裏への抜け出しなど、彼にスペースを与えたら最後、彼を止められるDFはJリーグにいませんでした。
その鮮烈なプレーを体感した日本のサッカーファンからは「エメルソン選手に日本へ帰化してもらおう」という待望論も上がるほどでしたが、当のエメルソン選手は翌2005年シーズン、高額な年俸を提示したカタールリーグに移籍…。
その後、経歴詐称(年齢を若くサバ読み)が発覚するなどトラブルメーカーとして度々話題にあがりました。
Jリーグ得点王2005・アラウージョ
33ゴール
33試合
2005年シーズンの得点王は、ガンバ大阪のアラウージョ選手。
アラウージョ選手は2004年、清水エスパルスに加入。チームが低迷する中、チームトップの9ゴールを決めた一方で、シーズン後半は石崎監督に干されてスタメンを外されるなど、フラストレーションが溜まるシーズンに…。
翌2005年シーズンは同じJリーグのガンバ大阪に移籍、遠藤選手や二川選手といった日本屈指のパサーとのコンビネーションで、ストライカーとして本領発揮しました。
チームにフィットした後の第13節・東京ヴェルディ戦で、3ゴール4アシストと爆発すると、そこから驚異的なペースでゴールを量産。
23節のサンフレッチェ広島戦でもハットトリックを達成し、その他の試合でも複数ゴールを決めてチームの勝利に貢献しました。
そして優勝のかかった最終節でアラウージョ選手は2ゴールを決め、チームは見事にJリーグ初優勝を果たしました!
アラウージョ選手は当初、ドリブル突破でチャンスを生み出すプレーが持ち味でしたが、ガンバの中盤から良質なパスが配給されることで、少ないタッチ数でシュートを放つストライカーとしての動きを習得してゴール量産。
翌2006年シーズン、アラウージョ選手はブラジル代表入りを目指してブラジルリーグに戻りました。
怪我もあり、ブラジル代表には選出されませんでしたが、ブラジルでも得点力を発揮して、地域リーグ得点王などの結果を出しましたね。
Jリーグ得点王2006・ワシントン・マグノ・アウベス
26ゴール
26試合(ワシントン)31試合(マグノ)
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2006年シーズンの得点王は、浦和レッズのワシントン選手とガンバ大阪のマグノ・アウベス選手!
先ずワシントン選手は、2005年に東京ヴェルディに加入すると、チームはJ2に降格する中でシーズン22ゴールを挙げる活躍を見せ、翌2006年シーズンから浦和レッズに移籍。
エースストライカーとしての期待に応えるように、前線で存在感を発揮してチームの勝利に何度も貢献。レッズの念願であったJリーグ優勝の立役者となりました。
実質的な優勝決定戦となったリーグ最終節のガンバ大阪戦でも、ワシントン選手は決勝点を挙げています。
次にマグノ選手は2004年、大分トリニータに加入すると、2年間で29ゴールを挙げる活躍。
そんなマグノ選手を高く評価したガンバ大阪が、アラウージョ選手の後釜として獲得。
1年目である2006年シーズンから早速ゴールを量産し、得点王を獲得しました!
マグノ選手はスピードを活かして相手DFの裏に抜け出すプレーが得意でしたので、中盤に優れたパサーを数多く擁したガンバのサッカーにフィットしたんだと思います。
ちなみに、得点王を分け合ったワシントン選手とマグノ選手は、2001年の日韓コンフェデレーションズカップでブラジル代表に選出され、2トップを組んでいた経験があります。
同大会ではグループリーグで日本対ブラジルの対戦がありましたが、その試合ではワシントン選手がスタメンで、後半途中にワシントン選手との交代でマグノ選手が出場しました。
Jリーグ得点王2007・ジュニーニョ
22ゴール
31試合
2007年シーズンの得点王は、川崎フロンターレのジュニーニョ選手!
2003年に当時J2のフロンターレに加入したジュニーニョ選手は、J2でプレーの2シーズンで65ゴール、特に2シーズン目は37ゴールを決めて得点王を獲得するほどの活躍で、チームのJ1昇格に大きく貢献。
J1の舞台でもジュニーニョ選手のプレーは圧倒的な存在感を放ち、2005-2006年の2シーズン共に年間15ゴール以上を挙げました。
そして2007年シーズンも、中村憲剛選手のアシストからゴールを量産。
16節からは4試合連続でゴール、その内19節のジェフ千葉戦でハットトリックを飾るなど、シーズン通して継続的にゴールを重ねていきました。
ジュニーニョ選手はブラジル人選手らしい抜群のテクニックとスピードを活かし、高速ドリブルによる突破や裏への抜け出しからシュートを放つプレーが得意。
裏への抜け出しに関しては、ジュニーニョ選手加入時は若手だった中村憲剛選手の持ち味である縦パス、ラストパスと相性が良く、お互いに実力を高めあっているようでしたね。
ジュニーニョ選手はその後もフロンターレで年間ゴール2桁の活躍を続け、2011年に退団するまで計9シーズン、フロンターレの選手として活躍。
外国人選手ながら、サポーターからはチームのレジェンドとして愛されています。
Jリーグ得点王2008・マルキーニョス
21ゴール
30試合
2008年シーズンの得点王は、鹿島アントラーズのマルキーニョス選手。
2001年シーズンの途中、東京ヴェルディに加入したマルキーニョス選手は、Jリーグクラブを渡り歩き、2007年シーズンから5クラブ目となるアントラーズに移籍。
最初のシーズンで2桁得点をマークしてチームのリーグ戦優勝に貢献すると、周囲との連携が深まった2008年シーズンは更にゴールを量産。
開幕戦から1ゴールを決めると、最初の5試合で5ゴールと波に乗り、中盤戦以降も、ハットトリックのような固め撃ちはないものの、シーズン通して安定的にゴールを重ねました。
チームも「堅い守備からマルキーニョスのゴールで勝つ」というパターンを確立したことで順調に勝ち星を重ね、見事にJリーグ連覇を達成!
Jリーグ連覇の大きな原動力となったマルキーニョス選手は、得点王とシーズンMVPのダブル受賞。
マルキーニョス選手は豊富な運動量でボールを引き出すと、正確な技術でゴールに向かっていきました。ドリブルシュート、ゴール前でのダイレクトシュートなど、パターンは多彩でしたね。
また、豊富な運動量は守備面でも活かされ、献身的なプレスでチームを助けていました。攻守両面での活躍が評価されてのMVPでしょう。
Jリーグ得点王2009・前田遼一
20ゴール
31試合
2009年シーズンの得点王は、ジュビロ磐田の前田選手。
年代別日本代表の常連で、アジアユース選手権のMVPを獲得するなどの活躍を見せていた前田選手は、2000年シーズンからジュビロに入団。
当初は中山選手や高原選手という代表クラスの壁が厚く、出場機会が限られていましたが、両選手のプレーを吸収することで成長して出場機会を確保。
2005年シーズンから3年連続で2桁ゴールを挙げるなどの活躍を見せていました。
迎えた2009年シーズン、5節(ジェフ千葉戦)に初ゴールを挙げると、そこから3試合連続ゴールを決めて並みに乗りました。
中盤戦以降も着実にゴールを重ね、終盤30節(名古屋グランパス戦)でハットトリック、32節(浦和レッズ戦)で2ゴールとラストスパート。
リーグ戦全試合フル出場を果たすと共に、得点王を獲得。
前田選手はプロ入り前に中盤を務めていたこともあり、正確な技術や豊富な運動量に定評がありました。
加えて、ジュビロで中山選手、高原選手からゴール前でのポジショニングやオフ・ザ・ボールの動き、ポストプレーなどストライカーの動きを吸収。
その結果、運動量を活かして様々な場所でボールに関与して攻めの起点となりつつ、ゴール前ではストライカーらしく両脚や頭で正確なシュートを放つという、存在感溢れる選手となりました。
Jリーグ得点王2010・前田遼一・ケネディ
17ゴール
33試合(前田)31試合(ケネディ)
2010年シーズンの得点王は、ジュビロ磐田の前田選手と、名古屋グランパスのケネディ選手!
先ずは前田選手ですが、同年開催された南アフリカワールドカップの出場は逃したものの、Jリーグでは変わらず得点力を発揮。
4節の京都サンガ戦でシーズン初ゴールをマークすると、14試合でゴールを決める安定した活躍を見せ、Jリーグ史上初となる2年連続での得点王獲得。
また同シーズン、ジュビロはナビスコカップで優勝!前田選手は決勝戦で2ゴールを挙げるなどチームを牽引し、見事に大会MVPを受賞。
次にケネディ選手。オーストラリア代表ストライカーとしてワールドカップにも出場し、ドイツのクラブを渡り歩いていた中、2009年シーズンの夏にグランパスへと移籍。
同シーズンは15試合6ゴールという結果を残すと、チーム内での連携が高まった2010年シーズンは得点力を遺憾なく発揮しました。
開幕戦でさっそくゴールを決めて波に乗ると、9節から5試合連続ゴールを決めるなどシーズンを通して17ゴールを奪取!
ケネディ選手が攻撃を牽引したグランパスは勝ち星を重ね、クラブ初のリーグ優勝に貢献
ケネディ選手の持ち味は何と言っても194cmの長身を活かした圧倒的な空中戦の強さです!
ケネディ選手に向けてクロスを上げると、高確率で競り勝ってヘディングシュートを放ちました。
また、足元の技術もあり、ポストプレーを難なくこなすことができ、前線の起点としてチームの攻めを組み立てる役割も果たすなど、非常に貢献度の高いプレーぶりでしたね。
Jリーグ得点王2011・ケネディ
19ゴール
31試合
2011年シーズンの得点王は、名古屋グランパスのケネディ選手!
前シーズンにJリーグ優勝を経験し、チームとして成熟期を迎えたグランパス。そのエースストライカーであるケネディの得点力は、2011年に入っても衰えませんでした。
開幕戦でゴールを挙げると、年間通じて安定的にゴールを決め続け、優勝争いが佳境を迎えた30節から4試合連続ゴールを達成!
チームのリーグ2連覇に大きく貢献すると共に、自身も前シーズンを上回る年間19ゴールを記録しました!
チームが成熟したことで攻めの流れもより円滑になり、ケネディ選手に向けた良質なラストパスがより多く配給できるようになったことが大きかったですね。
Jリーグ得点王2012・佐藤寿人
22ゴール
34試合
2012年シーズンの得点王は、サンフレッチェ広島の佐藤選手。
佐藤選手は2000年にジェフ千葉でプロデビューし、セレッソ大阪、ベガルタ仙台を経て2005年、サンフレッチェに加入。2004年からシーズン2桁ゴールを続け、ストライカーとして活躍を続けてきました。
そして2012年シーズン、森保監督が就任して攻守にバランスの良いチームとなったサンフレッチェにあって、佐藤選手はストライカーとして確実に決定機をゴールへと繋げていきます。
開幕戦でゴールを挙げると、最初の5試合で5ゴールのスタートダッシュ!
その後も着実にゴールを重ね、13節・コンサドーレ札幌戦のゴールで史上初の9シーズン連続2桁ゴールを達成、27節のサガン鳥栖戦では2ゴールを挙げ、シーズン20ゴールに到達しました。
佐藤選手のゴール量産もあり、サンフレッチェは順調に勝ち点を伸ばし、ついにリーグ優勝へ王手をかけることに。
優勝のかかった大一番となった33節のセレッソ大阪戦でも佐藤選手はゴールを決めてチームも勝利し、クラブ史上初のリーグ優勝を果たしました!
このシーズン、佐藤選手は得点王に加えてMVP、ベストイレブン、フェアプレー賞と前人未到の個人4冠を達成しています。
加えてJリーグ王者として出場したクラブワールドカップでも、3ゴールで大会得点王に輝きました。
佐藤選手の持ち味は、オフ・ザ・ボールの動きと瞬発力を活かした相手DFライン裏への抜け出しです。味方のスルーパスを引き出してフリーでシュートを撃つ流れはわかっていても止められないですね!
また、サイドからのクロスに対してもマークを巧妙に外してゴール前でフリーになり、正確なダイレクトシュートを放ちました。
Jリーグ得点王2013・大久保嘉人
26ゴール
33試合
2013年シーズンの得点王は、川崎フロンターレの大久保選手!
大久保選手は高校選手権で優勝するなどプロ入り前から注目を集め、セレッソ大阪に入団。その後も2005年にスペイン、2009年にドイツへと海外挑戦するなど、日本屈指のアタッカーとして活躍。
そんな大久保選手は2013年シーズン、フロンターレに加入。風間監督の元、技術が更に磨かれたことで得点力が大いに発揮されました!
シーズン開幕当初は苦戦するも、チームにフィットし出した中盤戦からは、13・14節の2試合連続で2ゴール、16節から3試合連続ゴール、20節から4試合連続ゴールと量産体制に突入。
終盤に入っても、31節から3試合連続ゴールを決めるなど好調を維持し、自身初のリーグ得点王を獲得しました!
フロンターレ加入前の大久保選手は、ドリブル突破からのシュートやミドルシュートを武器とするアタッカーという印象が強い選手。
しかし、風間監督の指導でポジショニングや狭いスペースでの技術が向上したことで、ゴール前でのダイレクトシュートといったストライカーらしいプレーを見せることが増えましたね。
尚、大久保選手は2012年以降、日本代表に選出されていませんでしたが、同シーズンでの活躍がきっかけで、翌2014年のブラジルワールドカップに向けて「大久保選手待望論」が出始めましたね。
Jリーグ得点王2014・大久保嘉人
18ゴール
32試合
2014年シーズンの得点王は、川崎フロンターレの大久保選手!
ブラジルワールドカップのメンバー入りを目指した最後のアピールとして、大久保選手は前シーズンの勢いそのまま、開幕当初からゴールを量産し、メンバー発表までの13試合で8ゴールを挙げる大活躍!
この猛烈なアピールが実り、大久保選手は土壇場でワールドカップのメンバー入り。本大会でもグループリーグ全3試合に出場しました。
ワールドカップ終了後も大久保選手の得点力は健在で、25節の大宮アルディージャ戦で10年ぶりにハットトリックを達成するなどゴールを量産し、見事に2年連続の得点王に輝きます
Jリーグ得点王2015・大久保嘉人
23ゴール
32試合
2015年シーズンの得点王は、川崎フロンターレの大久保選手!
同シーズンのフロンターレは風間サッカーの浸透が深まったことで、ほとんどの試合で高いボールポゼッション率を実現。
その分、決定機の数も増加し、大久保選手にとっては中村憲剛選手や大島選手といったリーグ屈指のパサーからラストパスを何度も供給してもらえる、ストライカーとして理想的な環境なりました。
もちろん、大久保選手は決定機を逃しません。
1stステージ開幕5試合で4得点を挙げると、その後も着実にゴールを決め続けました。2ndステージ11節の名古屋グランパス戦でハットトリックを達成するなど、複数ゴールを挙げることも多く、最終的には前シーズンを上回る23ゴールを記録。
Jリーグ史上初となる3年連続得点王に輝くと共に、同シーズンで通算150ゴールを突破し、名実共に日本最高のストライカーであることを印象付けました!
Jリーグ得点王2016・レアンドロ・ピーター・ウタカ
19ゴール
31試合(レアンドロ)33試合(ウタカ)
2016年シーズンの得点王は、ヴィッセル神戸のレアンドロ選手とサンフレッチェ広島のウタカ選手!
レアンドロ選手は2005年途中から大宮アルディージャに加入して以降、Jリーグとカタールリーグで活躍。
2015年シーズンの夏、かつて2007年にも所属していたヴィッセルに復帰。
2016年シーズンは、2トップを組む同じブラジル人FWのペドロ・ジュニオール選手と抜群の連携を見せゴールを量産!
4試合で複数ゴールを挙げるなど、年間通してゴールを重ねていき、自身初の得点王に。
レアンドロ選手のプレーは総合力の高さが持ち味。
ブラジル人選手らしく高い技術を誇り、両脚から正確なシュートを放つだけでなく、ポストプレーやアシストも高い精度でこなします。
総合力の高さを活かし、チーム戦術にも幅広く対応できるので、監督からすれば使いやすい選手ですね!
ウタカ選手はナイジェリア代表の経験もあるストライカーです。2015年シーズンに清水エスパルスへと加入し、年間9ゴールを挙げるも、チームがJ2リーグに降格したこともあり、2016年シーズンはサンフレッチェに期限付き移籍することに。
シーズンが始まると、ウタカ選手は序盤戦からゴールを量産。
1stステージ3節から4試合連続ゴールを挙げると、13節には最速で10ゴールを達成し、1stステージだけで13ゴールを奪取!
2ndステージはゴールのペースが落ちたものの、来日2年目で得点王に輝きました!
ウタカ選手はアフリカ人選手特有の強いフィジカルと優れたテクニックが武器で相手DFに寄せられても、正確なトラップと強靭な身体で難なくボールをキープし、前を向くと迫力あるドリブル突破から正確なシュートを放ちます。
またパスセンスもあり、下手にウタカ選手へマークを集中させると決定的なパスを通してくるので、相手DFは対応に悩まされることになりました。
Jリーグ得点王2017・小林悠
23ゴール
34試合
2017年シーズンの得点王は、川崎フロンターレの小林選手!
小林選手は2010年からフロンターレに加入。
2012年に就任した風間監督の下、技術面やポジショニングを大きく成長させ、大久保選手との2トップでゴールを量産。2016年は16ゴールをマークしました。
2017年シーズンは風間監督の退任に加えて大久保選手がFC東京に移籍したことで、小林選手がエースストライカーとして注目されましたが、小林選手は期待以上のプレーぶりを見せます。
開幕戦でゴールを決めると、その後も23節から4試合連続ゴールを挙げるなど、1トップとしてフロンターレが誇るテクニカルな中盤が創り出す決定機をゴールに繋げていきました。
そして最初節の大宮アルディージャ戦、勝てば優勝の可能性が出てくる大一番で、小林選手はハットトリックを達成してチームの勝利に大きく貢献。
前節まで勝ち点1差で首位だった鹿島アントラーズが最初節引き分けに終わったことから、フロンターレは大逆転でクラブ史上初のリーグ優勝!
小林選手も最終節のハットトリックで逆転の得点王に。
小林選手は得点王に加えてシーズンMVPも受賞、更にはJリーグでの活躍を評価されて年末の東アジア選手権に日本代表として出場し、国際Aマッチ初ゴールを挙げるなど、大きな飛躍のシーズンとなりました!
小林選手はオフ・ザ・ボールの動きに優れ、ゴール前で巧みにマークを外すことができます。
フロンターレには小林選手の動き出しを感じることができる優れたパサーが多いため、相乗効果でゴールを量産できますね。
CHECK小林悠(サッカー)の嫁の画像や子供は?プレースタイルと高校時代も
最後に
以上、Jリーグの歴代得点王を振り返ってきました。
どの選手も、代表や海外で活躍したり、クラブで絶大な人気を誇っていたり、レジェンドと呼べる活躍を残しています。
これからもどんな選手が得点王に輝くのか、その後にどのような活躍を見せるのか、注目していきたいですね!
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