チャンピオンズリーグ歴代の優勝チーム!
今回は、チャンピオンズリーグ(CL)の歴代優勝クラブの優勝回数ランキングで紹介したいと思います!
いまや、実質的な世界最強クラブを決める舞台となっているCL、歴代優勝クラブには世界的なビッグクラブが名を連ねていますね。
制覇までの道のりを振り返ってみることで、各クラブの黄金期や、レジェンドの活躍を見ていきたいと思います。
※2018年現在
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チャンピオンズリーグ歴代優勝回数ランキング
それではチャンピオンズリーグ歴代優勝回数の多いチーム順に当時を遡ってみていきましょう。
第1位:レアル・マドリード12回
CL最多優勝クラブはレアル・マドリードです!
1.大会5連覇の黄金時代
レアルは1955-956年シーズンの第1回大会に優勝すると、そこから5連覇を達成し「欧州最強クラブ」の座を確固たるものとしました。
当時のエースはディステファノ選手。ワールドカップで目立った活躍がなく日本では知名度が若干低いですが、ペレやマラドーナが世界最高の選手に挙げるほどの実力者!
抜群のテクニックとスピード、スタミナを活かし、試合を組み立てつつ自らもゴールを奪う、全てを兼ね備えた選手だったようです。
また1958年にはプスカシュ選手を獲得。FIFAの年間ベストゴール賞が「プスカシュ賞」と命名されるなど、驚異的なゴールを量産するストライカーでした。
ディステファノ選手とプスカシュ選手を筆頭に、スペイン代表クラスの選手を揃えた圧倒的なチーム力で欧州サッカー界を席巻し、黄金時代を迎えました。
しかし、黄金時代を支えた選手達が引退していくと徐々に欧州での影響力が低下し、1965-1966年シーズンに6度目の優勝を果たした後、長く優勝から遠ざかることに…。
2.銀河系軍団の結成
そんなレアルでしたが、1990年代後半に復活を果たします。
欧州各国の代表クラスを揃えた豪華布陣を揃え、1997-1998年シーズンに久々の優勝を達成すると、1999-2000年シーズンに8度目の優勝。
そして2000年、ペレス会長の就任からレアルは毎年のようにスーパースターを獲得します。
同年夏にドリブラーのフィーゴ選手、そして2001年には世界最高の司令塔ジダン選手を獲得。生え抜きのエースストライカーであるラウール選手や古参の超攻撃的SBロベルト・カルロス選手などと合わせ「銀河系軍団」と称されるスター軍団を結成。
2001-2002年シーズンのCLでは、決勝戦をラウール選手とジダン選手のゴールで勝利し、見事に9度目の優勝を達成しました。
その後も、2002年にブラジル代表の「怪物」ロナウド選手、2003年にイングランドの「貴公子」ベッカム選手を獲得しますが、前線のスター選手に特化した補強戦略がチームのバランスを崩し、またしばらく優勝から遠ざかることに…。
3.BBCとジダン監督が牽引する新黄金時代
そんなレアルですが、2013年に派遣奪還の切り札として、ウェールズ代表のスピードスター・ベイル選手を当時の史上最高額と言われる移籍金を投じて獲得!
以前より在籍していた、世界最高のストライカーであるクリスティアーノ・ロナウド選手、フランス人ストライカーのベンゼマ選手との3トップでゴールを量産し、2013-2014年シーズンのCLを制覇。悲願であった10回目の優勝を達成しました!
優勝の大きな原動力となったベイル選手・ベンゼマ選手・Cロナウド選手の3トップは3選手の頭文字を取って「BBC」と呼ばれています。
そして2005-2016年シーズンの途中に、選手として9度目の優勝に貢献したジダンが監督に就任すると、そのカリスマ性でスター軍団をひとつにまとめ、チームは更なる強さを発揮。
同シーズンのCLを制覇すると、翌2016-2017年シーズンも変わらぬ強さを見せ、見事に2連覇を達成しました!
レアルの強みは、ディステファノ選手、ジダン選手、Cロナウド選手など、どの時代でも世界最高のスター選手を擁し、周りの選手も世界屈指のスター選手を揃えていることでしょう。
そのスター軍団がチームとしてひとつになれたシーズンに優勝を果たしている印象です。
第2位:ACミラン7回
CL優勝回数第2位は、イタリアのACミラン!
最初の優勝は1962-1963年シーズンです。
当時はイタリア伝統の「カテナチオ」と言われる硬い守備と、元祖ファンタジスタと称される司令塔のリベラ選手が中心の攻撃が持ち味だったようですね!
しかし、その後はユベントスやインテルといった強豪クラブの台頭もあって、次第に低迷。1980-1981年シーズンには、八百長疑惑でセリエB降格するなど、どん底まで落ちていました。
そんなミランが復活し、イタリアのみならず世界を代表するビッグクラブに成長したきっかけになったのは、1986年のベルルスコーニ氏によるクラブ買収と会長就任でしょう。
イタリアのメディア王として豊富な資金力を持つベルルスコーニ会長は、就任後から大補強を敢行!
監督に「ゾーンプレス」を発案したサッキ監督を据え、「オランダトリオ」と称されるオールラウンダーのフリット選手、ストライカーのファン・バステン選手、守備的中盤のライカールト選手を獲得しました。
こうした補強に加え、イタリア最高DFである主将のバレージ選手、若手ながらレギュラーに定着したDFマルディーニ選手など生え抜きの選手が融合したチームは圧倒的な強さを発揮。
1987-1988年シーズンにセリエAを制覇すると、勢いそのままに1988-1989年シーズン、1989-1990年シーズンとCL2連覇を達成しました!
その後、1991年には名将カペッロ監督が就任。鉄壁の守備から前線のスター選手たちがゴールを重ね、1992-1993年シーズンから3期連続でCL決勝に進出し、その内1993-1994年シーズンにCL制覇を達成するという安定した強さを見せました。
1990年後半になるとチームが過渡期に入り優勝から遠ざかりましたが、2000年代にはウクライナ代表ストライカーのシェフチェンコ選手、ブラジル代表アタッカーのカカ選手、といったスター選手が活躍し、2002-2003年シーズンと2006-2007年シーズンにCLを制覇しました!
第3位:バルセロナ5回
CL優勝回数の第3位には5回で3チームが並びます。
先ずはスペインのバルセロナ!
バルセロナは長年レアル・マドリードの後塵を拝し、CLで目立った成績を残すことができませんでしたが、1988年のクライフ監督就任が大きな転機となりました。
クライフ監督が標榜する超攻撃的なサッカーを実現するため、国内外から多くのスター選手を獲得。
デンマーク代表のアタッカーであるラウドルップ選手や、オランダ代表の攻撃的DFクーマン選手、1994年ワールドカップで得点王に輝くことになるブルガリア代表のストイチコフ選手、といった個性的な選手達を、若手のグアルディオラ選手が司令塔として操ることで、爆発的な攻撃力を誇りました。
1990-1991年シーズンにスペインリーグで優勝すると、翌1991-1992年シーズンに参加したCLの舞台でも圧倒的な強さを見せ、念願のCL初制覇を果たしました!
その後、クライフ監督率いるバルセロナは、1990-1991年シーズンからスペインリーグ4連覇を達成。
当時のチームは、スター選手がクライフ監督のカリスマ性の下でひとつにまとまり、魅力的な攻撃サッカーを実現したことで「ドリームチーム」と称されています。
このように1990年前半に黄金期を迎えたバルセロナも、1990年後半から2000年前半にかけて、レアル・マドリードの復活により低迷期に突入…。2000年から4季連続で無冠に終わりました。
そんなバルセロナが再び輝きを放つきっかけとなったのが、2003年夏のロナウジーニョ選手獲得でしょう!
開幕当初はロナウジーニョ選手が負傷離脱し、チームも低迷が続いたものの、復帰すると圧倒的な技術に基づくイマジネーション溢れるプレーの数々でチームを牽引。最終的にリーグ2位まで押し上げました。
続く2004-2005年シーズンは、ストライカーのエトー選手、司令塔のデコ選手など補強を敢行すると共に、下部組織からはメッシ選手が昇格しました。
現役時代にクライフ監督の指導を受けたライカールト監督の下、ロナウジーニョ選手中心の攻撃サッカーに磨きをかけたことで、5季ぶりにスペインリーグ優勝を達成!
そして、スペイン王者として迎えた2005-2006年シーズンはチームがより成熟したことでCLでも危なげなく勝ち進み、久々の欧州王者に輝きました!
そして、2008年からはCL初優勝時に選手として活躍したグアルディオラが監督に就任。世界最高のアタッカーに成長したメッシ選手、中盤の司令塔であるシャビ選手・イニエスタ選手・ブスケッツ選手、守備をまとめる闘将プジョル選手など、下部組織出身の選手を中心にしたチーム構成で圧倒的なパスサッカーを実現して欧州を席巻すると、2008-2009年シーズンと2010-2011年シーズンにCLを制覇しました。
グアルディオラ監督率いるチームは、日本サッカーファンにおけるバルセロナのイメージ「下部組織出身者が中心の攻撃サッカー」を不動のものにしたと思います。
また、2013-2014年シーズンには、メッシ選手に加えてウルグアイ代表のエースストライカーであるスアレス選手、ブラジル代表エースのネイマール選手で「MSN」と称される強力3トップを構成し、ゴールを量産することでCL制覇を達成しました。
第3位:バイエルン・ミュンヘン5回
CL優勝回数の第3位、2チーム目はドイツのバイエルン!
最初の黄金期は1970年代前半でした。
リベロの元祖と言われる「皇帝」ベッケンバウアー選手、1970年ワールドカップ得点王の「爆撃機」ミュラー選手など、1974年ワールドカップを制覇した西ドイツ代表選手が主軸となり、1973-1974年シーズンからCL3連覇を達成!
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しかし、その後はドイツ国内で圧倒的な成績を残す一方で、欧州制覇になかなか届かず。1998-1999年シーズンのCLは、決勝戦の後半アディショナルタイムで逆転されるという悲劇もありました。
そんなバイエルンが久々にCL制覇をしたのが2000-2001年シーズン。
2002年ワールドカップでMVPを獲得することになるゴールキーパーのカーン選手を中心とした堅い守備を武器に勝ち進み、決勝戦もPK戦の末に勝利しました。
そして2012-2013年シーズンは、ゴールキーパーのノイヤー選手を中心に守備を整備し、フランス代表のリベリー選手、オランダ代表のロッベン選手という世界トップのウイングを両サイドに配置した攻撃で得点を重ね、5度目のCL優勝を果たしました。
バイエルンはスター選手揃いですが、ドイツらしく、組織的な守備を基本にした手堅いサッカーを行う印象が強いですね。
第3位:リヴァプール5回
CL優勝回数の第3位、最後はイングランドのリヴァプール!
リヴァプールの黄金期は1970年中盤から1980年中盤になるでしょう。
名将ペイズリー監督に率いられたチームは、キーガン選手、ラッシュ選手といったストライカーを擁して欧州の舞台でも驚異的な強さを発揮。
1976-1977年シーズン、1977-1978年シーズン(連覇)、1980-1981年シーズンと3度のCL優勝を達成しました。
また、ペイズリー監督の退任後である1983-1984年シーズンは、ローマとの決勝戦がオリンピコ・スタジアム(ローマのホームスタジアム)で開催と大アウェーでの試合となりましたが、大舞台での強さを発揮してPK戦で勝利。4度目の欧州制覇を達成しました。
このように絶頂期を迎えていたリヴァプールでしたが、1984-1985年シーズンのCL決勝戦で「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれるフーリガンの暴動事件を起こしてしまい、欧州大会に6年間参加禁止の処分を受けることに…。
この事件をきっかけに、欧州における競争力を大きく落とし、タイトルから遠ざかりました。
そんなリヴァプールが久々の欧州制覇を果たしたのは、2004-2005年シーズン。
主将で中盤の要であるジェラート選手を中心にトーナメントをしぶとく勝ち上がると、決勝戦では前半終了時点で3点ビハインドという絶望的な状況でも諦めることなく、後半で3点差を追いつくと、PK戦で勝利。
「イスタンブールの奇跡」とも言われる劇的な展開で優勝を飾りました!
第6位:アヤックス4回
CL優勝回数の第6位は、オランダのアヤックス!
黄金期は1970年代前半でした。
名将ミケルス監督が掲げる「トータルフットボール」は流動的なポジショニングによる全員攻撃・全員守備や高い位置からのプレッシング、オフサイドトラップなど、高度な戦術眼と豊富な運動量が要求される戦術でした。
そのような複雑な戦術を、当時の世界最高選手の一人であるクライフ選手を中心に、オランダ代表を揃えたメンバーが見事に表現したアヤックスは、欧州で敵なしの強さを誇り、1970-1971年シーズンからCL3連覇という圧倒的な成績を残しました!
しかし、1973年にクライフ選手がバルセロナに移籍すると、アヤックスよりも資金力がある他国のクラブが力を付けたことも影響し、CLのタイトルから遠ざかることに…。
そんな中、アヤックスは1985年にユースアカデミーを設立。最先端の育成プログラムを採用したこの下部組織からは、多数の逸材が生まれることになります。
そうした下部組織出身の選手達がトップチームに揃った1994-1995年シーズン、アヤックスは再び欧州で快進撃を見せました。
セードルフ選手、ダービッツ選手、クライファート選手など、後にオランダ代表や欧州ビッグクラブで活躍する名選手が集まり、欧州他国のビッグクラブを次々に退けると、決勝戦では当時の欧州最強クラブと目されていたミランに勝利し、久々の欧州制覇を果たしました!
第7位:インテル3回
CL優勝回数の第7位は2チーム、先ずはイタリアのインテル!
最初の優勝は1963-1974年シーズン。「魔術師」と称される名将・エレーラ監督の下、堅守からのカウンターアタックを基本戦術に、イタリア代表の攻撃的SBファッケッティ選手、イタリア代表のアタッカーであるマッツォーラ選手、スペイン代表の司令塔スアレス選手といった個の力が融合したことで強さを発揮。
決勝戦でレアル・マドリードを下し、イタリア勢2チーム目のCL優勝を果たしました。
翌1964-1965年シーズンも安定した強さを見せ、見事に2連覇を達成!
しかし、その後はイタリアでもユベントスやミランの後塵を拝することが多く、CLでの優勝から遠ざかりました。
そんな中2000年代中盤に入り、ライバルのユベントスやミランが八百長問題で低迷したことで、イタリア内でインテルが圧倒的な強さを誇ることになり、CLに注力できる体制が整いました。
そして2008-2009年シーズンに名将モウリーニョ監督が就任すると、かつての黄金期を彷彿とさせる堅守とカウンターアタックで、チームに安定感が生まれます。
同シーズンにセリエA4連覇を達成すると、翌2009-2010年シーズン、ついに久々となる3度目のCL制覇を果たしました!
第7位:マンチェスター・ユナイテッド3回
CL優勝回数の第7位、もう1チームはイングランドのマンチェスター・ユナイテッド!
CLにはイングランドの他のクラブに先立ち、1957-1958年シーズンに初出場しましたが、準決勝進出を果たした試合の帰路で「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれる飛行機事故に遭い、主力選手の多くが犠牲となってしまいました…。
この事故により大打撃を受けましたが、生き残りであるバズビー監督と中盤のチャールトン選手を中心に再建を図ることに。
天才ドリブラーのベスト選手、ストライカーのデニス・ロー選手といった才能溢れる攻撃陣をチャールトン選手が纏めることで、欧州の舞台でもゴールを量産。「ミュンヘンの悲劇」から10年後の1967-1968年シーズンにイングランドのクラブとして初めてのCL優勝を果たしました!
2度目の優勝は1998-1999年シーズン。
ファーガソン監督がユース時代から育て「ファーガソンの雛鳥」と呼ばれたイングランド代表主将のベッカム選手、イングランド代表の司令塔スコールズ選手、ウェールズ代表の天才ドリブラー・ギグス選手などがチームの中心となり、欧州の舞台で快進撃を見せると、決勝戦は後半アディショナルタイムで逆転という劇的な展開で勝利!
CL優勝に加え、同シーズンはプレミアリーグ、FAカップも制覇し「トレブル」(3冠)を達成しました。
3度目の優勝は2007-2008年シーズン。
イングランド代表のエースストライカーであるルーニー選手と、ポルトガル代表エースのクリスティアーノ・ロナウド選手を擁する強烈な攻撃陣を、円熟味を増したスコールズ選手、ギグス選手がサポートする形で、他を寄せ付けない強さを発揮し、欧州制覇を果たしました。
第9位:同率4チーム・2回
CL優勝回数の第9位は
・ユベントス(イタリア)
・ベンフィカ(ポルトガル)
・ポルト(ポルトガル)
・ノッティンガム・フォレスト(イングランド)
の4チームです。
ユベントスは初優勝(1984-1985年シーズン)はフランス代表エースの「将軍」プラティニ選手、2度目の優勝(1995-1996年シーズン)はイタリア代表のファンタジスタであるデル・ピエロ選手が大活躍!
イタリアらしく、堅い守備とファンタジスタの閃きによる攻撃がハマって、CL制覇を成し遂げました。
ベンフィカは1960-1961年シーズン、それまでCLで連覇を続けてきたレアル・マドリードに続いて2チーム目のCL制覇を果たすと、翌シーズンは決勝戦でレアル・マドリードを下して連覇を達成!
ポルトガル史上最高のストライカーと言われるエウゼビオ選手を擁し、爆発的な攻撃力を発揮しました。
ポルトはベンフィカに並ぶポルトガルのビッグクラブで、抜群のスカウティング力で逸材を次々と獲得しています。
特に2003-2004年シーズンは、いわゆる欧州4大リーグのビッグクラブに比べて資金力で劣る中、司令塔のデコ選手など当時は無名の逸材達を名将モウリーニョ監督が一つにまとめ、ビッグクラブを次々と撃破した末にCLを制覇!
史上屈指の番狂わせとしてサッカーファンに大きな衝撃を与えました。
ノッティンガム・フォレストはイングランドの中でも決してビッグクラブとは言えませんが、クラフ監督が就任した1970年代後半に夢のような快進撃を見せることに。
1977-1978年シーズンにイングランドリーグ初優勝を飾ると、翌1978-1979年シーズンにはCL制覇、そして1979-1980年シーズンは前回王者として出場したCLで連覇を達成し、一気に欧州の頂点へと上り詰めました!
第10位:同率10チーム
CL優勝回数の第10位は
・セルティック(スコットランド)
・ハンブルガーSV(ドイツ)
・ドルトムント(ドイツ)
・ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)
・マルセイユ(フランス)
・チェルシー(イングランド)
・アストン・ヴィラ(イングランド)
・フェイエノールト(オランダ)
・PSV(オランダ)
・レッドスター(セルビア)
の10チームです。
この中ではチェルシーの優勝が最近(2011-2012年シーズン)ですね。
2003年にロシアの大富豪・アブラモヴィッチ氏がオーナーになって以降、その資金力を背景に大型補強を続け、念願の欧州制覇を成し遂げました。
その他のクラブは20世紀の優勝ばかりです。1990年後半から、いわゆる「ボスマン判決」の影響でEU圏内の外国人枠が撤廃された結果、オランダや東欧のクラブに所属する選手は高値で欧州4大リーグや資金力の豊富なクラブに引っ張られることに。
近年ではジャイアント・キリングが発生する可能性はほとんどないと言っても良いでしょう。
最後に
以上、CLの歴代優勝クラブをランキング形式でまとめてみました。
欧州最強クラブを決める舞台だけあって、世界的なビッグクラブが名を連ねていますね。
CL優勝経験があるクラブということは、サッカーファンにとっても選手にとっても、大きなブランドではないでしょうか。
これからも、CLでビッグクラブが激闘を繰り広げるのが楽しみですね!
そして願わくば、CL優勝を狙うクラブで日本人選手が活躍する姿をたくさん見たい!
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