今回は銀河系軍団
レアルマドリードのエースナンバーの歴代10番
の系譜を辿っていきたいと思います!
1990年前半まではポジションに番号をつける変動背番号制度が多くの国で採用されていましたが、ユニフォーム販売などグッズが収入になることがわかり、選手個人に番号をつける固定背番号制度に変わっていきました。
固定背番号制度になってからのレアルマドリードの10番を紹介していきます!
懐かしい名前も出てきますのでぜひ、最後までご覧ください!
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ミカ・ラウドルップ
1994-1995年29試合8ゴール
バルセロナから禁断の移籍でレアルマドリード入り
デンマーク史上最高の選手と呼ばれエレガントなスルーパスとドリブルで観客を魅了しました。
バルセロナからレアルマドリードへ移籍する際にはペップ・グアルディオラが涙したようです。
禁断の移籍と騒がれ猛烈なブーイングの中でクラシコ(対バルセロナ戦)では2ゴールを決め5-0で勝利して周囲を黙らせました。
シーズン優勝の立役者となり、バルセロナ時代に4連覇していたので異なるクラブでリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した人はミカエル・ラウドルップただ一人。
しかし、この禁断の移籍によりスペインに居づらくなったのか翌年にはジャパンフットボールリーグ(当時の2部リーグ)のヴィッセル神戸に移籍しヴィッセル神戸のJリーグ昇格に貢献しました。
レアルマドリードの10番がJ2にくることはもう2度とないかもしれませんね。
クラレンス・セードルフ
1996-1999年121試合15ゴール
身体能力、守備能力、ゲームメイク、ミドルシュート、ラストパス、ドリブル突破となんでもできる万能型ミッドフィルダー。
育成に定評があるオランダのアヤックスのアカデミーで育ち、同期には後にバルセロナに入ることになるパトリック・クライファート選手がいましたが、セードルフ選手はアヤックスアカデミー史上最高傑作と呼ばれていました。
20歳とチームの中心に据えるのは若すぎたのかチームメイトと不仲となりインテル・ミラノへ放出。
早熟とも言われましたが、20歳にしてピッチ上の指揮官となるのに十分な能力があり、精神的にもサッカー選手としての能力も若くして完成されすぎていたことが移籍の理由かもしれません。
5カ国語を操る頭脳派でミランで寿司屋さんを経営しています。(ちなみにその寿司にはイチゴとかが載っています)
ルイス・フィーゴ
2000 – 2005年153試合38ゴール
こちらもバルセロナから当時の移籍金としては最高の6000万ユーロ70億円でレアルマドリードに禁断の移籍。
右サイドからのドリブルとピンポイントクロスで天下をとりました。
クラシコ(レアルマドリード対バルセロナ)ではフィーゴ選手がカンプノウ(バルセロナのホームスタジアム)でコーナーキックを蹴る際にビール瓶、札束、豚の顔などを投げ込まれ、試合が中断する事態となりましたが、再開されても、コーナーキックを蹴りに行くメンタルの強さが印象的。
ちなみにこの時期はNHKのBSでリーガ、エスパニョーラが放送され始めた時期で、当時小学生の私にとっては見ていてかなりのカルチャーショックでしたね。
リーガ・エスパニョーラでは通算106アシストを記録。リオネル・メッシに抜かれるまで最多記録!
2000年バロンドールを受賞。
2001年FIFA最優秀選手賞受賞。
ちなみにスペインで寿司屋を経営いていました。
セードルフ選手よりはまともな寿司を出すそうです。
ロビーニョ
2005-2008年101試合25ゴール
ルイス・フィーゴ選手の後釜として期待されてサントスから30億円で獲得したトリッキーなドリブルを武器にするブラジル人選手。
期待に応える活躍は出来ずに終わりました。
クリスチアーノ・ロナウド選手獲得のトレード要因として扱われたことに腹を立てフロントと対立。
クリスチアーノ・ロナウド選手やバルセロナのロナウジーニョ選手とどうしても比較されてしまったのは可哀想でしたがマンチェスターシティーへ放出されました。
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ヴェスレイ・スナイデル
2008 – 2009年22試合2ゴール
黄金の右足のキックを持つオランダ人の司令塔です。
南アフリカワールドカップで川島の左手がパワー負けした強烈なミドルシュートは記憶に残っている人も多いでしょう。
2007~2008年シーズンの活躍が認められ10番を背負うことになりましたが、レアルマドリードの10番としては怪我もあって十分な活躍は出来ませんでした。
またオランダのテレビタレントとの不倫が発覚して裁判沙汰になったのも不調の原因だったのかも?
のちにインテル・ミラノでは長友佑都選手と親友に!
発音はスナイダーだったりスネイデルだったりしますが同一人物です。
ラサナ・ディアラ
2009 – 2010年49試合1ゴール
ロビーニョ選手、スナイデル選手とレアルマドリードの10番としては今ひとつだったため、思い切って10番らしくない選手に10番を託しました。
マケレレの後継者と呼ばれたフランス人の守備職人はきっちりと与えられた役割を全うしましたが、やはり10番はエースが着るべきだという意見が相次ぐという可哀想な目立たない10番でした。
ラサナ・ディアラが10番だったのはなかったことになっている感じもします。もしかして黒歴史扱い?
メスト・エジル
2011 – 2014年99試合13ゴール
ラサナ・ディアラ選手が地味すぎたからか典型的な10番を求めてドイツが誇る天才パサーを獲得しました。
この左利きの魔術師は左サイドのクリスチアーノ・ロナウドとのコンビネーションでゴールを量産!
しかし、大舞台では、徹底マークにあったことと、フィジカルの弱さが顔を出して活躍は出来ませんでしたが柔らかなボールタッチと美しいスルーパスと視野の広さで観客を魅了!
⇒エジルの歴代彼女や嫁は?プレースタイルやレアル退団理由についても
ハメス・ロドリゲス
2014-2016年77試合28ゴール
2014年ワールドカップで大活躍し、スターダムに登りつめました。
日本戦でもやられましたね。
ワールドカップではコロンビア代表を史上初のベスト8に導き6ゴール、2アシスト で大会得点王となりました。
左利きのテクニシャンで中央でドリブル突破を試みながら、パスもミドルシュートも狙える現代的な10番タイプの選手!
ルックスの良さもあり、鳴り物入りでレアルマドリードに加入したものの、会長のお気に入り100億円で獲得した同じ左利きのベイル選手とポジションが被ったり、ルカ・モドリッチ選手、トニ・クロース選手のインサイドハーフ起用のためにトップ下がない4-3-3のシステムを起用するなどの理由で活躍は出来ず。
イスコ選手、ルーカス・バスケス選手より序列は下がり2017~2018年シーズンからはバイエルン・ミュンヘンにレンタル移籍が決まりました。
ルカ・モドリッチ
レアルの心臓であるモドリッチ選手
レアルで10番は代表合わせて自身3度目となりますが、ハメス・ロドリゲス選手が退団となったときには背番号を変更する気持ちはなかったそうです。
本人は19番がお気に入りということですが、やはり10番は好きだったみたいですね。
レアルというビッグクラブで新加入として10番を背負う選手は活躍できなかったが相当なバッシングを受けますが、モドリッチ選手の場合はすでに信頼を得ているので違和感はないのかなという印象があります。
⇒モドリッチのプレースタイルは?嫁や子供にラキティッチとの仲についても
最後に
いかがでしたか?
レアルマドリードの歴代の10番を紹介しました。
こうしてみるとクリスチアーノ・ロナウド選手もジダン選手も10番ではなく、タイミングで他につける人がいなかったから10番になった感じの選手もいますね。
それでも選手は10番に見合わないとか言われてしまうのでメガクラブの10番をつけるのは覚悟がいるんだなと感じますね。
次の10番候補としてはイスコ選手かアセンシオ選手が候補に挙がっているようですので、要チェック!
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