世界最高のサッカー選手ランキングベスト30!
ということで、今回は歴代の世界最高のサッカー選手ベスト30を独断にまとめてみました。
世代によっても好みの選手は分かれますし、言い出せばきりがないくらいいますよね。
どの時代も各国の代表にはスーパースターがいますので30人じゃ全然足りませんが、世界最高のサッカー選手に相応しいベスト30はこちらの選手になりました。
どうぞご覧ください!
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ジネディーヌ・ジダン
1972年生まれ。元フランス代表。
ユベントス、レアル・マドリードなどで活躍し、1990年代後半から2000年代前半にかけての世界最高の選手と言われています。FIFA年間最優秀選手、バロンドールを受賞。
フランス代表では、自国開催となった98年のフランスW杯で決勝で2得点を上げ優勝。
レアル・マドリードでは、ラウル、ロナウド、フィーゴらと第1次銀河系軍団を結成。まさに、歴代最強の豪華さで、チャンピオンズ・リーグ制覇などのタイトルを獲得しました。
世界屈指のテクニックでファンを魅了し続けた司令塔でした。
ミシェル・プラティニ
1955年生まれ。元フランス代表。
ユベントスで活躍したフランスの将軍で、1980年代の世界最高の選手と言われています。
バロンドール、セリエA得点王を3年連続受賞。テクニックに優れ、シュート精度、パス、ドリブル全てが世界最高レベルでした。
トヨタカップでも華麗な幻のゴールはサッカー界の伝説となりましたね。
ヨハン・クライフ
1947年生まれ。元オランダ代表。享年68歳
トータルフットボール=ポジションが流動的で、全員で攻撃全員で守備を、ピッチで体現した選手。
アヤックス在籍時に、チャンピオンズ・リーグ3連覇を達成。
バロンドールを3度受賞。
圧倒的なドリブル突破力から、得点を量産するプレースタイルでしたね。
引退後、監督としてアヤックス、バルセロナなどを指揮し、バルセロナのポジションパスサッカーの原型を作った選手。
ディエゴ・マラドーナ
1960年生まれ。元アルゼンチン代表。
誰もが知る20世紀のサッカー界の世界最高のスター選手の一人です。
どんな局面も打開するドリブルとパス、正確無類なシュートで世界最高のファンタジスタと呼ばれていました。
1986年W杯では、伝説と言われる「神の手」「5人抜き」などのゴールでアルゼンチンを優勝に導きます。
何かと問題を起こすこともありましたが、それがマラドーナなのかもしれません。
指導者としても選手以上に注目されるのはスターの象徴ですね。
ペレ
1940年生まれ。元ブラジル代表。
サッカーの王様、史上最高の選手と言われています。
ブラジル代表として、W杯優勝3回。個人成績では、通算1363試合で1281得点の世界最高記録を持っています。
171センチと小柄ながら、ボディバランスやフィジカルの強さ、高い打点からのヘディングなど身体能力の高さは一級品。
センターフォワードの印象が強いですが、ペレ本人は攻撃的MFと語っていることから守備範意識も当時からもってる選手だったんでしょう。
引退後も伝説の選手として、サッカー界のシンボルとして、様々な活動を行なっています。
フランツ・ベッケンバウアー
1945年生まれ。元ドイツ代表。
ディフェンダーとして、現在の攻撃に参加するリベロシステムを確立し、深い位置からのパスで試合を支配し、数々の功績をあげた世界最高のDFです。
ペレ、マラドーナ、クライフなどとともに20世紀を代表するスター選手とされています。
選手として、欧州チャンピオンカップ優勝3回、1974年W杯優勝、バロンドール2回。監督としても、1990年のワールドカップ優勝など、華々しい功績です。
皇帝の名で、試合を支配し、現在の攻撃にも関与するディフェンダーの基礎を築いた選手として、サッカー界に無くてはならない存在です。
リオネル・メッシ
1987年生まれ。アルゼンチン代表。
2000年代代後半から、サッカー界の主役、世界最高の選手となったのは、メッシでした。
成長ホルモン異常により、少年期から身長が伸びなかったメッシは、14歳でバルセロナに渡り、治療を受けながら、FCバルセロナでサッカーセンスを磨きました。
170cmの小柄な体格から、重心の低いドリブル、精度の高いパス、抜群のシュートを武器に、バルセロナでサッカー史上最高チームと言われるチームで数々のタイトルを獲得します。
グアルディオラ監督時代のバルセロナでは、メッシ、シャビ、イニエスタを中心に奏でるポゼッション・サッカーが世界を席巻し、毎週末美しすぎるパス・サッカーでいとも簡単に点を取るメッシに人々が熱狂しました。
史上最多のバロンドール5回受賞、チャンピオンズリーグ優勝4回などの功績でもサッカー史上最高の選手と評価されています。
クリスティアーノ・ロナウド
1985年生まれ。ポルトガル代表。
メッシと同じ時代に、同世代で、メッシのライバルとして同じぐらいの輝きで、サッカー界の主役となったのが、クリスティアーノ・ロナウド。
マンチェスター・ユナイテッドでワールドクラスの選手となったロナウドは、世界最高クラブの一つレアル・マドリードに移籍し、初年度から9年間、レアル・マドリードの中心選手として数々の偉業を達成します。
メッシと同様、史上最多タイとなるバロンドール5回受賞。チャンピオンズリーグ優勝5回、2016年の欧州選手権優勝など多くの功績を残しています。
若手時代は、完全なドリブラーで、トリッキーなフェイントを多用していましたが、歳をとるにつれて、不要なフェイントが減り、よりゴールに直結するプレーを多用するようになり、ゴールマシーンと化しました。
人々の記憶に残る沢山の名ゴールと、メッシとの熾烈なライバル対決は、世界最高、歴代最高のフットボーラーの称号に相応しいものです。
ロナウド
1976年生まれ。元ブラジル代表。
元祖怪物の愛称で親しまれているロナウドは、1990年代後半〜2000年代で世界最高のストライカー。
抜群のゴール嗅覚を持っていたロナウドはとにかく点を取る能力に長けていた選手。
バロンドールを2回、FIFA最優秀選手を3回獲得し、2002年日韓W杯ではブラジル代表を優勝に導きました。数々の故障で晩年は、その抜群のシュート嗅覚に頼ったプレースタイルでしたが、若い頃は、シュート嗅覚に加え、抜群のドリブル突破力を持ち、完全無欠なプレイヤーでした。
インテル・ミラノ時代に、戦術はロナウドと言わしめた伝説も持っています。
ロナウジーニョ
2000年代に最も、サッカーを観る者を楽しませ、魅了し、自分自身がプレーを楽しむ。
世界最高選手であり、世界最高のファンタジスタといえばロナウジーニョです。
バルセロナ時代にキャリアの絶頂を迎えたロナウジーニョは、2度のリーガエスパニョーラ優勝と、チャンピオンズリーグ制覇、バロンドール受賞で、一時代を築きます。
ノールックパスやエラシコなどの異次元のテクニックと独創性溢れるプレー、試合中に笑顔を見せるサッカーを楽しむプレースタイルがファンに愛されたロナウジーニョですが、絶頂のピークは意外に短い期間でした。
それでも、サッカーファンに今でも愛され続けているのは、ロナウジーニョが見せるテクニックがサッカー歴代最強のものであったことを証明しています。
ロベルト・バッジョ
1967年生まれ。元イタリア代表。
イタリアの至宝と呼ばれ、絶大な人気を誇ったバッジョは、1990年代を代表するファンタジスタですね。
1994年アメリカW杯では、苦しい展開の中でゴールを積み重ね、不調なチームを何度も救いました。
むかえた決勝は、灼熱の戦いの末、PK戦に突入。
怪我を抱えながら最後のキッカーとして登場したバッジョが、PK失敗に呆然と立ち尽くした姿は、世界中の人々が心を打たれたに違いありません。
その瞬間に思い浮かんだ中で一番難しいことをしていたという彼のプレーは、パス、ドリブル、シュートと全ての技術が高次元。
思いもよらない難しいことを簡単そうにこなし、人々を魅了したバッジョは、世界中のサッカーファンに強烈な印象を残した『悲劇のファンタジスタ』でした。
ロベルト・カルロス
1973年生まれ。元ブラジル代表。
ロベカルことロベルト・カルロスは、超攻撃的なスタイルを持ち味とした唯一無二の左サイドバックでした。
そんな彼の1つ目の武器は100メートルを10秒台で走るスピード。
猛然と左サイドをかけ上がり、鋭いクロスでチャンスを演出するダイナミックなプレーは、ブラジル代表とレアルマドリードの重要な攻撃オプションとなりました。
2つ目の武器は悪魔の左足と恐れられた破壊力抜群のキック。
40メートルの距離から叩き込んだFKは、物理学者の研究対象となるほど、現実離れしたものでした。
サッカーの歴史の中でもこれほどはっきりした個性を持ったサイドバックは他にいないでしょう。
リバウド
1972年生まれ。元ブラジル代表。
2000年前後にセレソンの10番を背負ったリバウドは、独力で局面を打開してしまう希代のアタッカーでした。
1998フランスW杯では惜しくも準優勝に終わりましたが、2002日韓W杯では、ロナウド、ロナウジーニョとともに3Rと呼ばれ、チームを優勝に導きました。
独特のリズムで突き進むドリブル。
厳しいチャージに負けないフィジカルの強さと、遠くからも狙えるパンチのあるシュート。
技術とパワーが高いレベルで融合した彼は、一人で試合を決定づけてしまうタイプの選手でした。
重要な試合でオーバーヘッドを決め、漫画のようだとサッカーファンを驚かせることもありました。
実力があって魅せることもできる、これぞセレソンのエースですね。
ピーター・シュマイケル
1963年生まれ。元デンマーク代表。
1990年代で世界最高のGKと言えば、圧倒的な存在感でゴールマウスを守ったシュマイケルの名前が挙がるでしょう。
デンマーク代表としてユーロ1992を制覇。
マンチェスターユナイテッドではトレブルを達成。
代表とクラブの両方で実績を残しています。
190センチを超える恵まれた体格と鋭い反応により、ビッグセーブを見せたかと思えば、元ハンドボール選手らしい強力なスローイングで、攻撃の起点となることもありました。
体の大きさも相まって、世界トップレベルの迫力を感じさせてくれたシュマイケル。
抜群の安定感とリーダーシップでチームに落ち着きをもたらすことのできる完成されたGKとして、2000年代に現れる名GK達がお手本にしたと言われています。
アドリアーノ
1982年生まれ。元ブラジル代表。
皇帝の名で知られるアドリアーノは、DFを恐怖に陥れる圧倒的パワーを誇るストライカーでした。
190センチ、90キロの恵まれた体格で、とにかくフィジカルが強く、セリエAの屈強なDFを弾き飛ばしていました。
また、左足の威力は破壊的で、ゴールが決まった瞬間何が起こったかわからないということもしばしば。
まだ無名の10代の頃、レアル相手にFKを決めた際には、サンチャゴベルナベウが静まり返ったと言われています。
全盛期のパフォーマンスは手がつけられず、彼を止める方法は調子の悪い時に対戦することだという冗談まで飛び出していました。
同じチームの先輩だったらとてもつらいだろうと個人的に思っています。
スティーブン・ジェラード
1980年生まれ。元イングランド代表。
2000年代に活躍したジェラードは、強烈なキャプテンシーを持つ世界最高峰のセントラルミッドフィルダーでした。
ジェラードの代名詞と言えば強烈なミドル。
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テレビで見ていても、ジェラードのキックはボールを蹴る音が違うと感じたものです。
ロングパスの正確さがよく話題とされますが、ショートパスもうまく、パス全般にセンスがありました。
また、特筆すべきはそのメンタリティで、チームが劣勢にある中で重要なゴールを決め、激しいタックルで相手に食らいつき、チームを鼓舞していた姿が印象的です。
チャンピオンズリーグの決勝で、3点差から同点に追いつき、PK戦の末にミランを下した試合は、そんなジェラードを象徴する試合と言えるでしょう。
マルコ・ファン・バステン
1964年生まれ。元オランダ代表。
黄金期のミランで得点を量産したファンバステンは、世界屈指と言われる万能ストライカーですね。
190センチ近い長身でありながら、裏へ出されたボールを先に触るスピードがあり、自らドリブルで相手をかわす技術まで備わっていました。
しかし、何よりも優れているのは卓越したゴールセンスで、高さを生かしたヘッド、強烈なミドルにループシュート、そしてジャンピングボレーなどのアクロバティックなシュートと、得点パターンが極めて豊富でした。
両足を巧みに使う辺りも完成度の高さを感じさせます。
怪我のため、28歳で出場した試合が最後となり、30歳の若さで引退しました。彼の早すぎる引退は、サッカー界の大きな損失だと言われています。
カカ
1982年生まれ。元ブラジル代表。
アスリートとしての資質にも優れたカカは、攻撃に必要な全てを兼ね備えた攻撃的ミッドフィルダーでした。
ブラジル人らしい優れたテクニックを持ち、独力でボールを運ぶ突破力、一撃必殺のスルーパス、強烈で正確なミドルと、そのどれもが一級品。
しかも、その全てのプレーをハイスピードでこなしていました。
ミラン入団時のメディカルチェックでは、加速力とスピードの絶対値が突出しており、こんな数字は見たことがないとスタッフが驚愕したなんていう話もあります。
上手いだけではなく、サッカー選手に必要な能力を新たに考えさせるような新種のプレーヤーでした。
クロード・マケレレ
1973年生まれ。元フランス代表。
献身的にチームを支えることが求められる守備的ミッドフィルダーの歴史においても、マケレレほどいぶし銀の働きをしたものはいないでしょう。
無尽蔵のスタミナを持つ彼は、ピッチを縦横無尽に駆け回り、鋭い読みで相手の攻撃の芽をつんでいきました。
小柄で小回りがきく一方、対峙したときの重心が安定しているために、相手に置き去りにされるような場面はほとんどありませんでした。
守備職人という印象の強い選手ですが、攻撃に転じるパスのスキルも優れていました。
銀河系軍団と言われたレアルがスタープレーヤーをそろえながら、それに見合った結果を出せなかったのは、マケレレを放出したせいだとも言われています。
移籍先のチェルシーでプレミアリーグを制覇したことをふまえれば、この意見は説得力のあるものと言えそうです。
ガリンシャ
1933年生まれ。元ブラジル代表。
1960年前後に王国ブラジルの右ウイングを務めたガリンシャは、自らの身体的特徴を生かした奇跡のドリブラーでした。
右に左に体を揺らすボディフェイントとスピードの緩急で、相手を置き去りにするのが得意の形。
それに対応しようとするDFには股抜きという辱めが待っていました。
幼い頃に小児麻痺を患った彼は、左右の足の長さが違ううえ、歪曲していました。
しかし、実はそこから独特のリズムが生まれていたとも言われています。
W杯を二回制しており、特に1962年チリW杯では、怪我したペレに代わり、チームを牽引。
カットインからのゴールだけでなく、サイドを突破してからのクロスでアシストも多く記録し、チームに貢献しました。
ペレはW杯を3回制しましたが、それはガリンシャのおかげだと語っています。
ジーコ
1953年生まれ。元ブラジル代表。
サッカーの神様と言われるジーコは、卓越したテクニックで攻撃を司る世界最高の攻撃的ミッドフィルダーでした。
全盛期のジーコは鋭いターンでディフェンスをはがし、急所をえぐるような長短のパスで相手DFを混乱に陥れました。
攻撃に必要なスキルを数多く持っていたジーコですが、中でも優れていたのがその得点力。
1対1でもミドルでも、とにかくシュートが正確で、点取り屋と言えるほど多くのゴールをあげました。
ゴールにパスという自らが語るシュートの基本を体現し、溢れるサッカーセンスと哲学は、まさしく崇拝の対象『神様』でした。
現役生活の晩年を過ごしたJリーグでも、ヒールボレーなどの意外性あるプレーや、速くて曲がるFKは健在。
際立つ技術で日本のサッカーファンを虜にしました。
アンドレス・イニエスタ
1984年生まれ。元スペイン代表。
バルサ生え抜きのイニエスタは、多くの才能を世に送り出してきたカンテラにおいて『最高傑作』と言われた天才ミッドフィルダーです。
小柄な体格で接触プレーには向かないものの、そもそも体に触れられることすらないままスルスル相手をかわしていくことのできる選手でした。
滑らかなボールタッチと俊敏性がそれを可能にしていましたが、一番の要因となっていたのは、相手の逆を突く上手さだと思います。
ショートパスの交換に巧みなドリブルを織り交ぜ、危険なスペースにスルーパスを送り込む技術は、「うまい!」と言わずにいられませんでした。
2010南アフリカW杯では、スペインの優勝を決める決勝点を決め、勝負強さを見せつけましたね。
同じカンテラ出身のグアルディオラは、少年だったイニエスタを見て、シャビは自分を引退に追い込むだろうが、いつかあの少年がシャビを引退に追い込むだろうと語ったと言われています。
⇒イニエスタのプレースタイルを徹底検証!動画と合わせて解説!
シャビ・エルナンデス
1980年生まれ。元スペイン代表。
ポゼッションサッカーの象徴として世界を席巻したシャビは、世界一のサッカーIQを持つセントラルミッドフィルダーでしたね。
守備でも攻撃でも重要な役割を担った彼は、当時最強と言われたバルサにおいて「心臓」「頭脳」とたとえられました。
鋭い読みとレスポンスを生かしたボール奪取力。
細かなタッチとアジリティを生かしたキープ。
ピッチを俯瞰していると思えるようなスルーパス。
その全てのプレーに共通して感じられるのは判断の速さでした。
試合中、彼は自分がピッチのどこにいるかということを正確に把握していたといいます。
その空間把握能力が速くて効果的なプレーを可能にしていたのでしょう。
パオロ・マルディーニ
1968年生まれ。元イタリア代表。
ミランとイタリア代表のレジェンド、マルディーニといえば四半世紀もの間、第一線で活躍した完全無欠のDFですね。
名門ミランの下部組織で育った彼のセリエAデビューは、なんと16歳。
早くから注目されながら消えていく選手はいつの世にも存在しますが、彼はその後40歳になるまでミランの最終ラインを支え続けました。
高さとスピードを生かした激しいタックル、果敢なオーバーラップによる攻撃参加。
攻守両面に秀でた彼は、世界最高の左サイドバックと評されました。
スピードに陰りが見えた晩年は、鋭い読みと優れた戦術眼を駆使し、センターバックとしても世界最高レベルであることを証明。
選手としての生涯をミランに捧げた彼は、まさしくクラブの象徴でした。
代表としてのタイトル獲得は叶わなかったものの、1990年〜2002年までW杯に4回出場、うち2回はキャプテンを務め、彼の魂を受け継いだアズーリは2006年にW杯を制しました。
アンドレア・ピルロ
1979年生まれ。元イタリア代表。
中盤の底から攻撃を指揮した世界屈指の司令塔ピルロは、レジスタというスタイルを確立した選手として有名です。
もともとトップ下でプレーしていた彼は、線の細さゆえに相手に潰されてしまうという弱点がありました。
そこで、よりプレスの少ない中盤の低い位置にポジションを移したことが大きな転機となります。
前を向いてボールに触れる機会が増えた彼は、長短の正確なパスを駆使し、自在にチームを操りました。
もとも冷静な選手でしたが、経験を積んでいく中でプレーの質はどんどん高まっていき、ベテランと呼ばれるようになった30歳辺りからの落ち着きは、こわいと思えるほどでした。
FKの名手としても知られていますが、デビューしたブレシア時代にバッジョに師事していたと言われています。
なんとも贅沢な練習風景ですね。
アリエン・ロッベン
1984年生まれ。元オランダ代表。
スピードに乗ったドリブルで数多のDFを無力化したロッベンは、オランダが生んだ史上最高のウイングです。
両手を広げた不思議なフォームで走る彼は、100メートルを10秒台で走る快速の持ち主。
足の回転が明らかに違い、文字通りDFを置き去りにする姿は本当に一人だけ早送りでした。
右サイドからのカットインでゴールを奪うという得意の形は、わかっていても止められません。
稀に縦へ抜けて右足で決めることもあるので、DFとしては難しいんですよね。
スピードのある選手なので、怪我に悩まされることが多かったのが残念です。
彼の怪我が少なければ、バイエルンとオランダ代表はより多くのタイトルを獲得していたことでしょう。
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年生まれ。元イタリア代表。
抜群の安定感でカテナチオの最後の砦として君臨したブッフォンは、史上最高の守護神ですね。
190センチを超える体格からは考えられないような俊敏な動き。
ゲームの展開に振り回されない冷静さ。
フィジカル面でも、メンタル面でも、彼にはつけ入るすきがありませんでした。
17歳でセリエAデビューを果たした彼は、18歳で代表に呼ばれ、20歳を過ぎた頃から正GKとなりました。
それ以降39歳まで、アズーリの守護神として君臨。
2006ドイツW杯では、最優秀ゴールキーパーに選ばれる奮闘ぶりで、チームの優勝に貢献しました。
経験値が必要となるGKというポジションにおいて、若くして世界に認められることは容易ではありません。
また、GK大国と言われるイタリアにおいて、正GKの座を守り続けることもまた、並大抵ではありません。
今後、彼を超えるような逸材が現れることはあるのでしょうか。
ファビオ・カンナヴァーロ
1975年生まれ。元イタリア代表。
W杯を制したアズーリのキャプテン、カンナヴァーロは、小さな体でカテナチオを支えた偉大なセンターバックでした。
176センチと上背はないものの、筋肉の塊のような体と抜群の跳躍力でそれらをカバーし、世界トップレベルのFWと渡り合いました。
しかし、彼が対人プレーに無類の強さを誇ると言われたのは、むしろ鋭い読み、間合いをとる上手さ、巧みな体の使い方といった要素にあるのではないかと思います。
つまり、知性と感性に優れていたということです。
2006年ドイツW杯を制したアズーリのキャプテンでもあり、その年にバロンドールを受賞。
DFの受賞は非常に珍しく、そのことからも彼が史上最高レベルのセンターバックであることがわかりますね。
ティエリ・アンリ
1977年生まれ。元フランス代表。
類まれなスピードと高いテクニックを備兼するアンリは、アシスト能力にも長けた無敵のストライカーでした。
まず特筆すべきは、爆発的な加速で一気にトップギアに入るスピード。
その速さの前では、世界屈指のDFもなす術がなく、横に並んだ時点で勝負はついていました。
そして、いつしか彼の十八番になっていたのが、左45度からファーを狙うコントロールシュート。
全盛期は、きれいなカーブを描いたボールがゴールに吸い込まれるシーンが毎週のように見られた印象があります。
シュートを打つ際に程よくリラックスしている雰囲気があり、その落ち着きも彼の決定力の要因となっていたように感じます。
また、ただエゴイスティックに得点を重ねる点取り屋ではなく、アシストの上手さも光りました。
チームに対する貢献度が非常に高いFWと言えます。
ズラタン・イブラヒモビッチ
1981年生まれ。元スウェーデン代表。
圧倒的なフィジカルと抜群のテクニックを誇るイブラヒモビッチは、欧州で4つのリーグを制した史上最強のストライカーです。
相手の寄せにもびくともしない規格外のサイズ。
エラシコなどのドリブルや柔らかなパスに見られる足元の確かな技術。
そして、様々なパターンでネットを揺らす決定力。
一人で複数のことをこなせる彼は、移籍先のチームにことごとくフィットし、優勝請負人となっていきました。
周囲の期待に押しつぶされず、結果を出し続ける彼には、間違いなく勝者のメンタリティが備わっていたのだと思います。
リーチを生かし、ボレー、オーバーヘッド、時には回し蹴りのようなシュートまで披露し、アクロバティックなゴールで強烈なインパクトを残しました。
記録にも記憶にも残るストライカー、それがズラタン・イブラヒモビッチです。
最後に
ここまで、歴代の世界最高のサッカー選手のランキングベスト30をまとめました。
賛否はあると思いますが、いかがでしたか?
世界最高のサッカー選手に共通しているのは記録もそうですが、記憶の部分が強いですね。
日本からも世界最高といわれる選手が誕生してくれることを期待しています!
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