今回は、サッカークロアチア代表の歴代有名選手をまとめてみました。
クロアチア代表のワールドカップの輝かしい成績といえば、1998年フランス大会はベスト3、2018年ロシア大会は準優勝!
それ以外の世代の選手もスター選手がたくさんいます。
懐かしい名前もあると思うので最後までご覧ください!
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モドリッチ
ロシアワールドカップで準優勝に躍進した原動力となりMVPに輝きました。
小柄で運動量がありますが、視野の広さ、状況判断能力、技術、戦術眼といったサッカー選手としてすべての能力を兼ね備えている選手といえるでしょう!
モドリッチ選手のプレーを見るだけでサッカーがより楽しく見られるようになると思いますね。
サッカーの教科書のような存在。
CHECKモドリッチのプレースタイルは?嫁や子供にラキティッチとの仲についても
ボバン
ACミランで10番を着けた司令塔。
ACミランでセリエA優勝、ヨーロッパチャンピョンズリーグ優勝と輝かしいキャリアを持ちます。
1990年イタリアワールドカップではディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードの試合で起こった暴動の際に、セルビア側の警官隊と乱闘を起こした処分を受けて出場停止となりました。
「チェスは生活の一部」と語るほどのチェス愛好家でサッカーでも俯瞰して全体を動かすゲームメイカーでした。
ユーゴスラビア代表時代は若かったのでセルビア系選手が中心になるなかでクロアチア系のボバン選手の言動が問題になったこともありましたし、ストイコビッチ中心の代表チームではあまり活躍の場が与えられませんでした。
ユーゴスラビア紛争が本格化したときには「私は100人の政治家にできないことを出来る」と戦争の無意味さとサッカー選手である自分に出来ることをプレーで表現することに努めていたといいます。
ユーゴスラビア紛争が落ちつき、クロアチア代表として初出場となった1998年フランスワールドカップでは司令塔として君臨して3位に導く原動力となりました。
また、ユーゴスラビア紛争が終結してからは
「ユーゴスラビア紛争を経験し、サッカーを戦争だと言う者は、本当の戦争を知らない」
という言葉を残しています。
プロシネツキ
「バルカンの黄金銃」というニックネームで強烈なミドルシュートを持ったテクニシャン。
U-20ユーゴスラビア代表としてワールドユース優勝&MVPに輝いたプロシネツキ選手は若手時代から当時ユーゴスラビア代表の10番だったストイコビッチをして「ユーゴスラビアでも彼の右に出る曲芸師はいない」といわしめるドリブルとキックのスキルを持っていて将来を嘱望されたまさに天才でした。
1990年のワールドカップ・イタリア大会ではオシム監督に才能を認められてユーゴスラビア代表として1得点を記録する活躍で同国のベスト8進出に貢献しましたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴いクロアチア国籍を選択したため代表チームからは遠ざかりました。
その後、レアルマドリード、バルセロナなどで活躍。
1998年クロアチア代表として初のワールドカップとなったフランス大会ではチームを3位に導く活躍でボバン選手、スーケル選手など黄金世代がようやく国際舞台で共闘しました。
特にボバンとは小学生時代からのチームメイトでしたしライバルでしたがフランスワールドカップではクロアチア代表のゴールデンコンビとなりました。
スーケル
トマホークという愛称で親しまれた左利きのシューター。
1998年フランスワールドカップ得点王で現クロアチアサッカー協会会長。
フランスワールドカップでは日本戦でも川口能活の手をかすめる反転シュートを決めています。
クラブチームではアーセナル、レアルマドリードで活躍。
シャープな動き出しと抜群の得点感覚、性格で振りの速い強烈なシュートを持ち得点を量産しました。
ラキティッチ
バルセロナとクロアチア代表のゲームメイカー。
モドリッチ選手とコンビを組み流動的な中盤を構成してバランスを取り続けました。
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高精度なキック精度と運動量、組み立てに関与しつつペナルティーボックスに侵入してゴールを奪います。
モドリッチ選手が相手の守備ブロックに穴をあけてラキティッチ選手がその穴を突くという共存共栄関係は美しい連係プレーを生みました。
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スルナ
クロアチア代表として132試合出場の右サイドバック。
精度の高いセンタリングを武器にオーバーラップから数多くのチャンスを演出しました。
精度の高い右足でセットプレーのキッカーを任せられて主将も務めました。
1998年フランスワールドカップ3位の黄金世代の後のクロアチア代表を支えた中心的存在。
ダリオ ・シミッチ
クロアチア代表として100試合に出場してワールドカップ3大会出場を果たしたセンターバック。
セリエAのインテルミラノ、ACミランでも活躍。
「猛犬」の愛称で親しまれ対人守備能力に優れたセンターバックで180㎝とセンターバックとしては決して大きくない身長ですがジャンプ力があり空中戦では強さを見せました。
フィード能力も高くて攻撃の起点にもなれる選手でした。
ニコ・コバチ
2002日韓 FIFAワールドカップ、2006 ドイツFIFAワールドカップに出場した名ボランチ。
弟ロベルト・コヴァチと共にクロアチア代表での精神的支柱となり、チームを支えました。
カバーリング能力、ビルドアップ能力に優れ中盤の底でゲームをコントロールしていました。
指導者としては長谷部誠選手を3バックの中央にコンバートさせ、 アイントラハト・フランクフルトをドイツカップ優勝に導いたことでも有名。
バイエルンミュンヘンで指揮を執ります。
ロベルト・コヴァチ
バイエルンミュンヘン、ユベントスで活躍したセンターバック。
危機察知能力、カバーリング能力が高い頭脳派センターバックでビルドアップ能力も高く攻撃を組み立てる能力にも長けていましたね。
クロアチア代表として84試合に出場して兄のニコ・コバチとともに一時代を築きました。
現在は兄ニコ・コバチ監督の右腕のアシスタントコーチとして古巣バイエルンミュンヘンで活躍が期待されています。
スラベン・ビリッチ
190㎝の長身センターバックでディフェンスラインを統率しました。クロアチア代表として44試合に出場。
クロアチアの独立後初のFIFAワールドカップに1998年フランス大会に出場して貢献しました。
引退後はクロアチア代表監督にU21クロアチア代表の黄金世代を育てた功績が認められて就任。
U21代表のモドリッチ選手など黄金世代をクロアチア代表に抜擢するなど世代交代期のチームを預かりました。
ロシアワールドカップ躍進したクロアチア代表のベースをつくった功労者。
オリッチ
クロアチア代表として104試合出場20得点を決めています。
ドイツ・ブンデスリーガで継続的に得点を決めたムービングストライカー。
豊富な運動量と抜け目ないポジショニングでゴールを量産するボックスストライカー。
スーケル引退後のチームの得点源となりました。
2002年の日韓ワールドカップ、2006年のドイツワールドカップに出場。
アレン・ボクシッチ
マルセイユやラツィオ、ユベントスで活躍した強くて、速くて、でかくて、うまい万能型ストライカー。
187㎝の長身でポストプレーにも安定感がありパワーを前面に押し出したドリブルも得意でした。
1998年のフランスW杯でエースとして期待されながらも怪我で棒に振った名フォワードです。
もし、ボクシッチの怪我がなければフランスワールドカップは優勝していたかもしれませんね。
最後に
いかがでしたか?
今回はクロアチア代表の歴代名選手をお届けしました。
やはり、98年のクロアチア代表の選手が中心になりますね。
500万人の国ですから現役引退後にもクロアチアサッカー界の中心的人物になっているので継続して見ているファンにとってはスタッフの顔ぶれを見るのも面白いですね。
今後もクロアチア代表を見続けるのは楽しみです。
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