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ユベントスの歴代最強フォーメーション・ベストイレブンを考えてみた

ユベントス・歴代最強

イタリア、欧州を代表するビッグクラブであるユベントス!

セリエAで最多の優勝回数を誇り、過去には欧州王者や世界王者にも輝いています。

歴代でも数々の名選手が在籍してきました。

そんなユベントスの栄光を彩る歴代のベストイレブン最強フォーメーションと合わせて考えてみました!

それではご覧ください!

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ユベントス歴代の最強フォーメーション!

ユベントスの最強フォーメーションは「中盤ダイヤモンドの4-4-2」を採用しました!

ユベントス・歴代最強フォーメーション

イタリアサッカーの代名詞は「カテナチオ」と「ファンタジスタ」

カテナチオは、ゴール前に「かんぬき」をかけたような堅い守備。

守備陣にはこれまでのサッカー界を代表する守備職人を揃えています。

また攻撃ではファンタジスタと呼ばれる卓越した技術と創造性を併せ持つ選手が決定機を量産。

ファンタジスタは主にトップ下やセカンドストライカーのポジションを務めるので、今回のフォーメーションではファンタジスタの共存が可能です!

ユベントス歴代最強・GK

GKは1982年スペインワールドカップでイタリア代表の優勝に貢献したディノ・ゾフもいますが、やはりブッフォン一択でしょう。

ジャンルイジ・ブッフォン

ブッフォンはイタリアのみならず、世界的に見ても歴代最高峰のGKでしょう。

1995年、若干17歳でセリエA初出場。その試合で当時の世界最高クラブであるACミランを相手に無失点で抑えるという衝撃的なデビューを飾りました。

ユベントスには2001-2002年シーズン、GKとして史上最高の移籍金で加入すると、これまで600試合以上に出場。無失点974分のセリエA記録を達成するなど、ユベントスの堅守に貢献し続け、21世紀最高のGKと評価されています。

ブッフォンは抜群のセービング力を誇り、安定感溢れるプレーやビッグセーブを連発します。また、そのプレーぶりや192cmの大柄な体格から出る威圧感も強烈で、相手からすると「ブッフォン相手だからゴールは難しいな…」と思ってしまいますね。

CHECKブッフォンの凄さって?バロンドール候補?引退の時期や年俸についても 

ユベントス歴代最強・DF

守備の国・イタリアを代表するクラブだけあって、DFは名選手揃いです。

今回は、1980〜2000年代にかけて、ユベントスだけでなく世界的に活躍した選手を選びました。

他には、DFとして初めてバロンドールを獲得したファビオ・カンナバーロも候補でしたが、ユベントスがセリエBに降格した際に早々と移籍したことでサポーターの顰蹙を買ったこともあり、選外としました。

リリアン・テュラム

リリアン・テュラム
引用元:http://slowfoot.pl/top-250-lilian-thuram-63/

フランス代表の最多出場記録を保持しているテュラムは当時、世界最高DFの一人と目されており、代表ではSB、クラブではCBとして抜群の存在感を発揮しました。

テュラムはブッフォンと同じ2001-2002年シーズンからユベントスに加入。この2人は加入前もパルマで同僚だったため、加入早々に強固な守備陣を形成し、同シーズンからセリエA連覇に貢献。テュラムはユベントス在籍5シーズン中、4シーズンでセリエA制覇を達成しています。

テュラムは抜群のフィジカルを活かした1対1での守備が持ち味でした。加えて戦術理解にも優れ、DFのポジションであればどこでも対応することができましたね。

ガエターノ・シレア

シレアは日本では知名度が若干低いかもしれませんが、イタリア史上最高のDFの一人でしょう。

ユベントスでは1974年から1988年までプレーし、セリエA制覇7回、また1985年にはユベントス初の欧州王者に輝いています。

また、イタリア代表としても1982年ワールドカップの制覇に主力として貢献しています。
世界最高のDFと評されることになるフランコ・バレージ(ACミラン)が代表ではシレアからはポジションを奪うことができなかったことからも、シレアの実力が伺えますね。

シレアは状況判断に優れ、華麗な守備でピンチの芽を摘み取っていきました。冷静かつスポーツマンシップに溢れたプレーぶりで、現役を通してレッドカードを一枚も受けていないことでも知られています。

ユルゲン・コーラー

コーラーはドイツ代表のCBとして、1990年のイタリアワールドカップで優勝するなど1990年代に活躍し、「世界最高のストッパー」と称されていました。

ワールドカップ優勝後の1991年からユベントスに加入すると、セリエAの舞台でも堅い守備を見せつけ、最優秀外国人選手賞を受賞するなどチームの中心として活躍しました。

「鋼のストッパー」とも呼ばれていたように、競り合いの強さを活かした激しい守備で、相手のエースストライカーを完全に封じましたね。「質実剛健」という表現が似合うプレーぶりです。

ジャンルカ・ザンブロッタ

ザンブロッタはイタリア屈指のSBとして活躍し、2006年のドイツワールドカップでは、主力選手としてイタリア代表の優勝に貢献しました。

ユベントスには1999年シーズンから加入。
当初はサイドハーフを務めていましたが、2002-2003年シーズンにSBへコンバートされると見事にハマり、ユベントス・イタリア代表双方で外せない選手に成長しました。

持ち味は攻撃面にあり、判断良くオーバーラップしてからの正確なクロスで決定機を量産。また、SBとして左右両方でプレーすることができるなど、高い戦術理解も合わせ持っていましたね。

ユベントス歴代最強・MF

ユベントスのMFはカテナチオを支える運動量や戦術理解に優れた選手が多いですね。他の候補者はマルコ・タルデリ、エドガー・ダービッツ、ウラジミール・ユーゴビッチなどでしょうか。

また、レジスタ(演出家)の代表であるアンドレア・ピルロは選出を最後まで悩みましたが、ファンタジスタの起用を優先してやむを得ず選外としました。

今回はトップ下を本職とした選手を3名(ネドベド、ジダン、プラティニ)選びましたが、ネドベドとジダンはユベントスの守備戦術を卒なくこなしていた(やる気はともかく)ので、チームとしてバランスは取れるはず…。

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ディディエ・デシャン

デシャンはフランス代表の主将として1998年の自国開催でのワールドカップで初優勝に導いたことで知られています。

ユベントスには1994-1995年シーズンから加入すると早々にチームの中心選手となり、在籍中3度のセリエA制覇を果たすと共に、1996年にはCL制覇とトヨタカップの勝利で、チームを世界王者に導きました。

またデシャンは現役引退後、2006-2007年シーズンからユベントスの監督に就任。不正疑惑でセリエBへ降格したクラブを1年でのセリエA復帰に導きました。

デシャンは「マラソンマン」と称されるほどの豊富な運動量と卓越した戦術眼で中盤を支配。当時のユベントスは組織的な守備が持ち味でしたが、特に中盤ではデシャンの戦術眼に基づくコーチングが支えになっていました。

パベル・ネドベド

チェコ代表の代表の主力選手として、EURO2004でベスト4に導くなどの活躍を見せたネドベドですが、より印象的なのはクラブでの活躍でしょう。

ユベントスには2001年から加入。翌2002-2003年シーズン、ネドベドはトップ下のポジションを確保すると、チームをセリエA連覇とCL準優勝に導く大活躍を見せ、2003年のバロンドールを受賞。

その後もセリエB降格時を含め一貫してユベントスで活躍を続け、数々のタイトル獲得に貢献しました。

ネドベドはトップ下で華麗なプレーを見せることはなかったですが、豊富な運動量と強烈なミドルシュートを武器に、チームの攻撃を活性化させました。

ファンタジスタ系でなく、献身的なプレーを見せるトップ下というのはユベントスの中では珍しいですね。

ジネディーヌ・ジダン

ジダンは世界最高の司令塔としてフランス代表の黄金期を牽引、1998年ワールドカップとEURO2000で連続して優勝を飾りました。

クラブレベルでの活躍はCL制覇を果たしたレアル・マドリード時代が印象的ですが、その前に2001年まで所属していたユベントス時代も素晴らしい活躍を見せています。

ユベントスには1996年から5シーズン在籍していましたが、その間にトヨタカップ優勝(1996年)、セリエA制覇2回、CL2年連続決勝進出という好成績。個人タイトルとして代表での活躍もあり、1998年のバロンドールを受賞しました。

ジダンといえば圧倒的なテクニックでしょう。吸い着くようなトラップ、相手に囲まれても苦にしない抜群のキープ力、幅広い視野を活かして相手の急所を正確に突くパス、精度の高いFKやミドルシュートなど、司令塔として理想的な選手でした。

ジダンの代名詞とも言えるドリブル「マルセイユルーレット」を真似した人も多いのでは?

ミシェル・プラティニ

フランスの「将軍」プラティニは、代表では「シャンパンサッカー」の中心として君臨。EURO1984では得点王に輝き、フランス代表を初優勝に導きました。

ユベントスには1982年から加入すると、すぐにチームの中心として活躍を見せ、1982-1983年シーズンから3シーズン連続でセリエA得点王を獲得。1985年にはCLとトヨタカップを制覇し、チームを世界一の座に導きました。

プラティニは広い視野、相手の急所を突くスルーパス、正確なシュートやFK、という攻撃に求められるプレー全てを華麗にこなしました。「古き良き10番」という感じです。

プラティニのプレーで印象的なものは、やはり日本で開催されたトヨタカップで見せた、リフティングからのボレーシュートでしょう。謎のオフサイド判定を受けて寝そべった姿を含め、日本のサッカーファンに強烈なインパクトを残しましたね。

ユベントス歴代最強・FW

FWもスター揃いなので、単純に歴代ゴール数の1位・3位を選出しました。

(歴代2位のジャンピエロ・ボニペルティはクラブのレジェンドですが、活躍時期が1950年代でプレーぶりを見ることができなかったので、選外)

その他候補はワールドカップ得点王のパオロ・ロッシ、フランス代表ストライカーのダヴィド・トレゼゲ、イタリア屈指の得点力を誇ったフィリッポ・インザーギ、ファンタジスタの代名詞であるロベルト・バッジョなど。

ロベルト・ベッテガ

ベッテガは1970年代のイタリアを代表するストライカーとしてワールドカップでも活躍しました。

そんなベッテガは、1970年代のユベントスを象徴する選手といえます。1970-1971年シーズンからレギュラーの座を獲得すると、1983年に退団するまでセリエAを7回制覇、1977年にはUEFAカップを制覇するなど、数々のタイトルを獲得。自身も1979-1980年シーズンにはセリエA得点王に輝きました。

また、引退後は経営者の道に進み、1990年代中盤から2000年代にはユベントスのフロント入りし、副会長などを務めました。

ベッテガは182cmと恵まれた体格を活かし、空中戦で強さを発揮。ゴール前で強烈な存在感を示しました。ユベントスで歴代3位の178ゴールを記録しています。

アレッサンドロ・デル・ピエロ

デル・ピエロは1990年代から2000年代のイタリアを代表するファンタジスタの一人で、2006年ワールドカップではイタリア代表の優勝に貢献しました。ただ、やはりデル・ピエロはクラブでの活躍が印象的です。

1993-1994年シーズン、19歳でユベントスに加入。当時のユベントスにはバッジョがエースとして君臨していましたが、翌シーズンにバッジョが怪我で離脱したことで出場機会を得ると、数々のゴールを決める大活躍を見せて一気にレギュラーの座を奪取。

1995年からはユベントスの10番を背負い、2012年に退団するまで6度のセリエA制覇、1996年にCLとトヨタカップを制覇するなど、数多くのタイトルを獲得しました。

また個人としても、1997-1998年シーズンのCL得点王、2007-2008年シーズンのセリエA得点王を受賞するなどゴールを決め続け、ユベントス所属選手として歴代最多の290ゴールを記録しています。

デル・ピエロは抜群のテクニックを活かした創造性溢れたプレーで決定機を量産。特に、ゴール左45度の位置から放たれるシュートは高い決定力を誇り、「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれていました。

またリーダーシップにも優れ、ユベントスがセリエBに降格した際にいち早くクラブ残留を表明し、主力選手の引き留めと1年でのセリエA復帰に貢献しました。

最後に

以上、ユベントスの歴代ベストイレブンと最強フォーメーションをまとめてみました。

イタリアを代表するビッグクラブだけあって、どの選手もイタリアのみならず世界でもトップレベルですね。

今後、このベストイレブンに割って入るような活躍を見せる選手が出てくることにも期待です。

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